Noteありがとう (日記 Vol.4)

 ぼくが30歳の時に、パーソナルコンピューターというものが初めて発売され、一般の人が自分のパソコンを手に入れることが出来るようになった。
 当時、携帯電話は無くて、昭和歌謡のように「ポケベルが鳴らなくて」が当たり前の時代だった。
 その後、飲み屋でPHS電話を無料で貰った時期があり、だんだんとガラケーが世の中に溢れたのを覚えている。
 インターネットが整備され、ブログやツイッターが世の中に定着するまでは、電話回線を使ったチャットが世の中の主流だったのかと思う。
 パソコンも一時期、自作パソコンが流行り、Windowsが表れて、Linuxも触りやすくなってきた。
 今はタブレットやスマホが身近にあり、電車に乗ろうものならスマホをのぞかない人などみかけない。30数年でそんな時代になったのだと、進歩の速さを実感する。

 アメブロやnoteは前から知っていたけれど、書くことを始めたのはつい最近のこと。
 ようやく、自分へ目を向けて、自分探しをしようと思うようになった。
 昔は(かなり昔)、noteのような自由な空間は無かった。
 書きたいことを書けることは、幸せなことと思う。
 書くネタがいっとき無くなっても、noteという空間はあり続けてくれる。
 心に書くという衝動が走るまで、あせらずともよい気がしてしまう。

 書くことによる自分探しは、傷に塩を塗るようなときもある。
 でも、その痛みが新たな自分を導いてくれるかもしれない。
 書くことで、心の深みを探検することになるかもしれない。
 その探検では、息をゆっくり吸うという快感を知るかもしれない。
 自分の内面を深めて、広げてくれるのがnoteという空間であるとき、
「noteありがとう」にたどり着いた。


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