アナログ派の愉しみ/本◎周 浩暉 著『死亡通知書 暗黒者』

中国語圏のミステリー小説として
空前の成功作となったワケ


『死亡通知書 暗黒者』(2008年)を知ったのは、懇意にしている中国出身の女性ジャーナリスト、黄文葦に教えられてのことだ。黄によると、中国人は「死」をタブー視する意識が強いために、日本のようにテレビのCMや新聞のチラシが葬儀・お墓の宣伝を行ったり、ましてや一般人が墓地の近隣に住んだりなどはとうてい考えられないそうだ。ならば、じゃあ、殺人事件を扱ったミステリー小説のたぐいはどうなのか、と訊ねたところ、その答えが面白かった。中国人はあくまで現実主義者で、フィクションの「死」であれば大いに楽しんでいる由。もっとも、日本に較べるとプロのミステリー作家がずっと数少ないなかで、目下「中国の東野圭吾」として人気上昇中なのが1977年江蘇省生まれの周浩暉(ジョウ・ハオフイ)で、その『死亡通知書』シリーズ三部作は累計120万部突破、ネットドラマ版24億回再生を記録したという。その第一作の日本語版が近年刊行されたので、わたしもさっそく手に取った次第。

ストーリーは現在・過去の二重構造になっている。現在の舞台は2002年晩秋の省都A市公安局で、そこに過去の未解決事件が突如よみがえってくる。1984年春に〈エウメニデス〉と名乗る者によって、現職の公安局副局長が「背任、汚職、裏社会との交際」の罪状を挙げた死亡通知書のもとに殺害され、さらに同日、廃倉庫で警察学校の男女の学生が爆死するという事件が起きた。懸命の捜査にもかかわらずなんら手がかりがつかめないまま18年が経過したいま、その〈エウメニデス〉がふたたび姿を現し、重大な罪を犯しながら罰を免れてのうのうと暮らしている連中の処刑を宣言する。かつて犠牲となったふたりの学生の親友で龍州市の刑事隊長をつとめる主人公も捜査チームに加わって、犯人の死亡通知書を受けて立ち、その知謀に翻弄されつつも徐々に警察官僚組織をめぐる深い闇が明かされていく……。まあ、ストーリーを追うのはこのへんで控えておこう。

絶大な人気を博するだけあって、これでもか、と言うぐらい謎を散りばめたミステリーの大伽藍が聳え立つさまはなかなか壮観だ。しかし、わたしには大仕掛けの度が過ぎていかにも絵空事と感じられてしまうのも、黄が指摘したとおり、中国人向けにフィクションの「死」と割り切ってゲーム感覚で構築されているからに違いない。リアリズムの観点を持ち込むのが見当外れなのだと自分に言い聞かせながら読み進めるうちに、奇妙なことに気づいた。ここには社会状況をめぐってありあまるほどの描写が氾濫している反面で、当然、記述されるべきはずなのにまったく触れられていないことがある、と――。そう、「党」の存在が一切抹消されているのだ。

中国の警察官僚組織の深い闇を分け入っていくのに、「党」を抜きにして記述することは現実にはありえないから、おそらくは出版事情を踏まえて、ここもあくまで虚構が前提とされているわけだろう。そんなつもりで行間に目凝らしてみると、なるほど興味深い。ギリシア神話の復讐の女神を名乗る犯人が初めて出現した過去の1984年とは、鄧小平指導体制のもとで胡耀邦総書記を中心に改革開放路線が推し進められ、作中に警察学校の若い世代の闊達な雰囲気が描かれるように民主化の気運も盛り上がっている時期だった。ところが、やがて胡が失脚して事態が暗転し、天安門広場での武力による弾圧へと雪崩れ込んでいくなかで〈エウメニデス〉も姿を消す。それがふたたび行動を起こした現在の2002年とは、胡錦涛総書記に就任して、前年にWTO(世界貿易機関)に加盟した中国が「世界の工場」として経済大国の道のりに踏み出したタイミングで、双方のあいだに横たわる18年間の空白が中国人の読者にとっては絶妙の隠し味となっているのではないか。

その意味で、新たに復活した〈エウメニデス〉がネット上で告知した「死刑募集」の文言はきわめて意味深長だ。

「この目を開くとそのたび、この世界が多くの汚れた魂を抱えているのを見せられる。〔中略〕死んでほしいと思う人間はいるだろうか。この世界に生きている資格がないと思っても、その人間に制裁を加えることができない。その人間の前で正義は絶望的に脆弱だ。であれば名前を書いてほしい。その人間がなにをしたかを教えてくれれば、わたしが判決を下す」(稲村文吾訳)

こうした正義感は、きっとだれの胸中にもいくばくか巣食っているに違いない。しかし、中国においてもしこんな文言をネット上に公開したら、ただちに当局に削除され、場合によっては厳罰にも処されかねないのではないか。すなわち、現実とは無縁なフィクションの「死」を扱った物語のエピソードだからまかり通り、読者もそれを前提とすることで気兼ねなく正義感の味を楽しんでいるのであり、こうして『死亡通知書 暗黒者』は実際に書かれている内容を超えたところで中国語圏ミステリーの空前の成功作となったのだろう。

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