アナログ派の愉しみ/映画◎成瀬巳喜男 監督『乱れる』

鉄道の旅は
人生経験の教室だった


かつて鉄道の旅というものがあった。いまだってあるけれど、すっかりスマートな高速の乗りものとなって、もはや旅というより移動といったほうがふさわしい。まだ旅であった時代には、狭い車内で乗客同士が長時間をともにして、ときに思いがけない人生経験と出くわした記憶がわたしにもある。したがって、しばしば映画の重要な舞台に使われてきて、成瀬巳喜男監督の『乱れる』(1964年)は、そのなかでもきわだった作品のひとつだろう。

 
太平洋戦争のさなか、19歳の礼子(高峰秀子)は静岡県清水市で酒屋を営む森田家の長男と結婚する。家には舅姑のほか、義妹ふたりと年の離れた義弟がいた。半年後に夫は出征し、戦死公報が届いたその日に空襲で家が焼けて舅も死ぬ。戦争が終わると、礼子が一家の柱となって焼け跡にバラックを建て、かつぎ屋までやって家業を再建していく。この間、老いゆく姑と暮らし、義妹たちはそれぞれ家庭をもって落ち着くが、義弟の幸司(加山雄三)は大学を出てサラリーマンになったものの辞めてしまい、実家に舞い戻ってぶらぶらしている。こうして礼子は嫁いでから18年が過ぎて37歳となった。

 
ここまでは、ドラマがはじまる前の過去の物語だ。それは、戦中から戦後にかけての多くの日本人がさまよった波瀾万丈の歳月だろう。と同時に、礼子にとっては重荷を背負ってじっと一歩一歩を積み重ねていくしかない、その意味では単調な日々でもあったろう。映画のファーストシーンでは、近くにできたスーパーマーケットが盛んに格安セールを宣伝して、先の東京オリンピックが開かれたころの、高度経済成長の波によって商店街の衰退していく世相が描かれる。その余波を受けて、ずっと礼子が守りとおすとともに支配されてきた日常生活にも亀裂が入るのだ。

 
森田家では親族たちが話しあって、もう個人商店では立ちいかない、こちらも幸司を社長とした会社組織のスーパーマーケットに衣替えして、寡婦の礼子には感謝しながらも、この際、再婚相手を世話して出て行ってもらおうとする。しかし、当の幸司は、わが家のために人生を犠牲にさせておきながらいまさら追い出すとはなんだ、と断固反対する一方で、12歳年上の兄嫁に向かってひそかに告白する。

 
「おれは姉さんのそばにいたい、ずっと前から好きだったんだよ」

 
結局、思いあまった礼子は一同に対して、実は自分には好きなひとがいる、だから実兄のいる山形県新庄市に行く、と伝えて、その日の午後に慌ただしく身ひとつで出発する。清水から東京行きの東海道線に乗ると、前の車両から幸司がこちらにやってきた。礼子は顔をそむけ、ふたりは遠く離れた座席に腰かけたものの、駅に停車して乗客が入れ替わるにつれ、少しずつ距離を縮めていく。上野からの東北本線では並んですわり弁当をつつき、福島で奥羽本線に乗り換えたのちに車内で夜を明かすと、礼子は幸司の寝顔を眺めながら涙ぐみ、相手が目覚めると、つぎの駅で降りようと誘った。

 
「私だって女よ。好きだと言われたとき、とっても嬉しかったわ」

 
血のつながりがないとはいえ、姉と弟。12歳の年齢差の両者にはこのとき、まるで幼い少年少女のような純情があったろう。そればかりではない、男の強引な所有欲と女の無邪気な虚栄もあったはずだ。日常生活の長い歳月の底に沈殿してきて、その存在すらすっかり忘れていたものが、いま1泊2日の鉄道の旅のなかでついに噴出したものだろう。ふたりは大石田の駅で下車するとバスで銀山温泉に向かう。ひなびた宿に部屋を取って抱擁を交わしたのも束の間、最後の一線を越えることはできず、男は立ち去ると居酒屋で泥酔したあげく崖から転落し、翌朝に女は声の出ない絶叫で遺骸を見送った……。

 
いったんはじまった道行きは、最後まで完遂するべきだったのだろうか。もしふたりがあのままに同じ部屋で夜を迎えていたら、どんな結末になったろう?

 
そのひとつの答えを、文豪夏目漱石が示している。『三四郎』(1908年)の出だしだ。東京帝国大学に学ぶために九州から東京へと向かう青年は、京都駅で年上の女性客と隣りあわせる。汽車は名古屋止まりで、ふたりは駅近くの粗末な旅館に入り、ひとつの部屋に案内されると、女中が蚊帳のなかにふたつの布団を並べて敷いた。そこで、青年はシーツの余っている部分をぐるぐる巻いて相手とのあいだに仕切りをこしらえ、一切口をつぐんだきり、夜が明けるまでまんじりともしないで過ごす。翌朝、駅のプラットフォームで別れるときに、女性はにやりと笑ってこう告げた。

 
「あなたは余っ程度胸のない方ですね」

 
やはり、鉄道の旅とは人生経験と出会う教室だったのだ。
 

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