アナログ派の愉しみ/音楽◎別宮貞雄 作曲『管弦楽のための二つの祈り』

イザナギとイザナミは
そのとき何を祈っていたか


街中の神社でふと、夫婦連れとおぼしき男女が肩を寄せあって祈りを捧げているのを見かけたりすると、いかにも清々しく、ふたりが心をひとつにしている姿に胸打たれてしまう。しかし、それは傍から眺めての観察に過ぎず、実のところ、当人同士はそれぞれの思いを神に告げているだけで、おたがいに相手の祈りの内容は与り知らないのかもしれない。そんなことを考えたのは、別宮貞雄作曲の『管弦楽のための二つの祈り』と出会ったからだ。

 
わたしがこの曲を知ったのは、大学時代以来のフルート吹きの親友が所属するアマチュア・オーケストラ、新交響楽団が今年(2023年)1月の定期演奏会で取り上げたことによる。作曲者の別宮は、太平洋戦争中に東京帝国大学の理学部で理論物理学を学んだのち、戦後になって文学部へ入り直して音楽理論の研鑽を積み、さらにパリ国立高等音楽院に留学する。そこで3年間にわたってダリウス・ミヨーやオリヴィエ・メシアンらに師事し、帰国後の1956年にその集大成として制作したのが『管弦楽のための二つの祈り』だという。

 
フルート吹きの親友が会員向けのプログラムにのせた文章によると、かつて同楽団がこのフランス仕込みの楽曲を演奏した際には困難をきわめたとして、「維新以来のドイツ偏重の音楽教育がもたらした明らかな弊害と今なら断言出来そうなところだ。〔中略〕ドビュッシーやラヴェルの管弦楽作品に代表されるようなある種『曖昧模糊』とした音のイメージから、何となく芯のないもやもやとした発音を各楽器がしてしまい、総体として何ら輪郭のはっきりしない音の塊を仕上げてそれでよしとする結果に明け暮れていた」と報告している。そうした経験の積み重ねがあってのことだろう、この日の湯浅卓雄の指揮での演奏はきりりと引き締まって光彩陸離たるものだった。

 
もとより、この二楽章から構成された演奏時間13分ほどの作品は、ラテン的な対位法やフーガの技法をちりばめ、クライマックスではグレゴリオ聖歌のクレド(使徒信条)も引用して、まさしくクラシック音楽のエッセンスを咀嚼し吸収したみごとな成果と言うにふさわしい。と同時に、わたしの耳にはキリスト教の精神風土だけに収まり切らない、どこか懐かしい響きが聴き取れるのは、やはり日本人の作曲家の手によるものだからではないか。あまつさえ、別宮の家系は、遠く中世の伊予(愛媛県)守護職の一族までさかのぼるという。

 
その伊予の地の発祥をめぐっては、『古事記』の神話がとくに言及しているところだ。神代七代の最後にあたる男神イザナギと女神イザナミは、命を受けて国生みを行うことになり、天の御柱をまわりながら、イザナミが祈りの口火を切り、それにイザナギが応じると、水蛭子(ひるこ)というできそこないが生まれたので葦船に入れて流した。その失敗への反省から、今度は夫唱婦随よろしく、イザナギのほうが先に立ってイザナミがあとに続いた。

 
 あなにやし、えをとめを
 あなにやし、えをとこを

 
こうしてまず淡路島、ついで伊予が誕生したとされ、日本列島の形成がはじまっていくのだ。

 
それはまことに寿ぐべきことながら、じゃあ、イザナギとイザナミは相手に呼びかけあいながら、このとき何を祈っていたのだろう? わたしが思うに、女神イザナミのほうは、いくらできそこないとはいえわが子を捨て去ったことへの悲哀と悔悟に苛まれ、また、男神イザナギのほうは、今度こそ使命を果たすためにことさら勇み立って、それぞれがバラバラの祈りを捧げたのではないか。あの日の演奏会で、『管弦楽のための二つの祈り』の第一楽章が「悲しみをもって」の指示により、透明な静けさのなかにも抑えがたい激情の波がせめぎ寄せ、一転して、第二楽章では「雄々しく」の指示のもと、盛大なファンファーレが鳴りわたって奔放自在に突き進んでいく音楽の面白さに耳を委ねながら、そんな思いを馳せたのである。

 
もっとも、われわれはそもそも、夫婦がおたがいの胸のうちをなんら察することなく当たり前のように日々を暮らしているのが実情なのだろう。

 

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