アナログ派の愉しみ/本◎ハラリ著『21 Lessons』

「カミカゼ」と
北朝鮮の核兵器開発をつなぐもの


イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、国内外を問わず現存する著述家のなかで、わたしが目下最も注目しているひとりだ。いや、わたしだけではない、世界じゅうで多くの人びとがハラリの論考に重大な関心を寄せているはずだ。人類の過去と未来の道のりについてあまりにも大胆な仮説を提示した『サピエンス全史』(2014年)と『ホモ・デウス』(2015年)に対して、第三作『21 Lessons』(2018年)では、そのグランドデザインを踏まえたうえで、現在われわれが真剣に考えるべき論点をテーマとしている。


ハラリは言う、人類の将来のために必要不可欠な議論であっても、一般のひとが日々の生活に追われて参加しにくいなか、歴史学者はだれにもわかりやすい議論の入り口を提供するのが責務だ、と――。そこで用意されたのが【幻滅】【雇用】【自由】【平等】【コミュニティ】【文明】【ナショナリズム】【宗教】【移民】【テロ】【戦争】【謙虚さ】【神】【世俗主義】【無知】【正義】【ポスト・トゥルース】【SF】【教育】【意味】【瞑想】の21のキイワードだ。

 
一見、脈絡のなさそうなこれらの言葉をタイトルに1章ずつをあて、例によって博覧強記のエピソードをちりばめながら進めていく筆さばきには胸のすく思いがする。ハラリは従来の著作でも東洋や日本への強い親近感を披瀝してきたけれど、人類の将来に向けての今回の全21章のうち、とりわけ日本の事例が参照されたのが【宗教】のチャプターと聞けば、少なからず意外に受け止める向きもあるに違いない。

 
こんな論理の流れだ。幕末に黒船が訪れて鎖国を破られたのち、日本は富国強兵の近代化に乗り出して大成功を収めたが、その過程でみずからのアイデンティティを確立するために固有の宗教の神道を作り直した。欧米列強と競う帝国主義と現人神の天皇という新旧の奇妙な組み合わせが魔法の効果を発揮して、日本人は最先端の科学技術を受け入れると同時に国家への熱狂的な忠誠心を身につけ、そのシンボルこそが太平洋戦争末期における「カミカゼ」だった――として、つぎのように続ける。

 
「知ってか知らずか、今日非常に多くの政府が日本の例に倣っている。現代の普遍的な手段や構造を採用する一方で、伝統的な宗教に頼って独自の国家としてのアイデンティティを維持している。日本における国家神道の役割は、程度こそ違うものの、ロシアでは東方正教会のキリスト教が、ポーランドではカトリック教が、イランではシーア派のイスラム教が、サウジアラビアではワッハーブ派のイスラム教が、イスラエルではユダヤ教が担っている。宗教はどれほど古めかしく見えたとしても、少しばかり想像力を働かせて解釈し直してやれば、いつでも最新テクノロジーを使った装置や最も高度な現代の機関と結びつけることができる」(柴田裕之訳)

 
さらには北朝鮮の「チュチェ思想」と核兵器開発もその極端な一例に挙げる。そして、テクノロジーがいくら発達しても人類の力が集団の協力を拠りどころにするかぎり、将来にわたって宗教が重要なファクターであり続けるだろうことが論じられるのだ。

 
以上の論理は実のところ、われわれにはかなり違和感を抱かせるだろう。日常のさまざまな局面で神道やら仏教やらキリスト教やらを適当に使い分けながら、自分の信仰を問われると「無宗教」と応じて憚らないのがたいていの日本人の態度なのだから。しかし、今日なお人類が凄まじい宗教的対立の渦中にある状況下で、日本が世界に向けて天皇を国家元首としながら、われわれが「無宗教」で済まそうとするのはあまりに無邪気に過ぎることをハラリは教えているのではないか。

 
なお、ハラリ自身はこの本の最後に、みずからのルーツであるユダヤ教を含め虚構の物語をまとった宗教への疑義を呈したうえで、学生時代に出会ったという仏教の「ヴィパッサナー」瞑想が自己の世界観のベースにあることを明かしている。


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