アナログ派の愉しみ/音楽◎グレン・グールド演奏『ゴールドベルク変奏曲』

その美しい指先は
いまも「孤独」を奏でているのか


「グールドとかいうひとの、ゴールドベルクとかいうレコード、知っているか?」

 
受話器の向こうの声は、手元のメモを棒読みするような口調だ。

 
「なんでも孤独の音楽らしいのだが」

 
それはひとり暮らしをしているオヤジからの電話だった。オフクロがくも膜下出血で他界して半年ほど経ったころ、もう30年も昔の話だ。

 
カナダが生んだピアノの鬼才、グレン・グールドには2種類の『ゴールドベルク変奏曲』のアルバムがある。1955年のモノラル録音と、1981年のデジタル録音だ(ほかに放送録音やライヴ録音もあり)。わたしは後者のCDをショップで買い求めると、さっそくオヤジのもとへ持参してプレイヤーにセットした。

 
バッハの代表作のひとつであるこの鍵盤楽曲(1741年)は、シンプルなアリアのあとに、技巧を凝らした30の変奏が続いて、最後にふたたびアリアが回帰するというもの。グールドはレコード・デビューにあたってこれを選び、その1955年の録音はセンセーショナルな成功を収めた。やがて30代のはじめにコンサートからのドロップアウトを宣言し、以降はスタジオにこもっての演奏活動が中心となる。そして、1981年にかれとしては異例なことにふたたびこの曲を録音したのち、翌年50歳にして脳卒中で急逝する。

 
生涯独身をとおし、数々の奇癖でも知られたグールドに対しては、生前から「孤独」のイメージがまとわりつき、その芸術を論じた書籍には『孤独のアリア』、ドキュメンタリー映画には『天才ピアニストの愛と孤独』といったタイトルが冠せられた。当然ながら、死のひと月前に発売された新しい『ゴールドベルク変奏曲』についても、CDのガイド本などではしばしば「孤独」を枕詞にして紹介された。およそクラシック音楽の趣味とは縁遠いはずのオヤジも、どこかでそんな文章を目にして、ひとり暮らしの侘しさから関心を寄せたものと思われる。

 
わたし自身も当時、あたかもグールドがたったひとりで宇宙と対話しているかのような姿をイメージしたことを記憶している。その後、1981年の録音風景を収めたビデオが発売されて、ピアノを弾くグールドの指の美しさと、かれがプレイバックを聞きながらインタビュアーに「いいね、ディキシーランドっぽくて」と笑いかける表情が印象的だった。また、このあとにもさらに録音が残されていて、そこでは初めて指揮台に立って、オーケストラのメンバーとワーグナー作曲の『ジークフリート牧歌』を演奏している。そんなふうに本人は晩年も決して自閉の生活を送っていたわけではなかったにせよ、わたしを含めファンにとっては、やはり20世紀が終盤に向かっていく時代の「孤独」のアイコンだった。

 
ところが最近、久しぶりにこの『ゴールドベルク変奏曲』を聴き直してみたら、その堅牢な構造感覚に改めて感心する一方で、まるで「孤独」が迫ってこないことに一驚した。こちらが年齢を重ねて鈍くなったせいだろうか。あるいは、21世紀も序盤を過ぎたいま、自分にとっての「孤独」のアイコンが変化したのか。そう考えてみると、なるほど、現代の若い男女のアイドル集団がやみくもに歌い踊るさまのほうにずっと「孤独」が感じられもするのだ。

 
30年前のオヤジは、わたしのセットしたCDの再生がはじまって10分も経たないうちに鼾をかきはじめた。バッハのこの曲は、そもそも不眠症に悩む貴族を癒すためにつくられたといわれているから、オヤジの鑑賞態度はまさに理にかなったものだったに違いない。
 

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