アナログ派の愉しみ/本◎コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの事件簿』

ニューメディアの
出現を前にして名探偵は


史上最も有名な探偵、シャーロック・ホームズの物語は4つの長編と5つの短篇集から成り立ち、この『事件簿』(1927年)が最後のものだ。だが、掉尾を飾ると言うには旗色が悪い。ここに集められた12の短篇は、ファンの人気ランキングではたいてい下位に追いやられているのだ。しかし、わたしは少々意見を異にする。最初の短編集『冒険』のような傑作ぞろいとは言わないにせよ、名探偵が人生の後半に行き当たった非情な現実が垣間見えて興味深いのだ。

 
コナン・ドイルが『緋色の研究』(1887年)でホームズを登場させてから『事件簿』の刊行まで40年が経過している。この間、いったんは死を遂げたはずの名探偵が読者の熱烈な要望によって復活し、原作者の思惑を尻目にひとり歩きしてきた観もある。そのへんの事情について、ドイルはこの短篇集のまえがきで「わがシャーロック・ホームズ氏が、よくあるテノールの元人気歌手のようになってしまうのを、私は危惧する。とうに盛りを過ぎているのに、なおも聴衆の人気に甘えて、何度も  “さよなら公演”  をくりかえす、あの手合いだ」(深町眞理子訳)と記している。しかし、ここに終焉を迎えたのは、果たしてホームズが盛りを過ぎたことによるのだろうか?

 
ちょうどニーチェが「神の死」を宣言したころに颯爽と現れたホームズは、科学の時代における実証主義の申し子だった。どんな奇怪な事件であれ、現場の証拠にもとづいて論理的に推理していけば、だれの目にも明らかな解決を見出せるとの前提があった。そこには神による懲罰とか悪魔の所業といった人知を超えた因果関係は介在せず、犯人の動機と手段だけが存在しているのだから、ただ理性を働かせればいい。それがホームズを名探偵の始祖としたわけだ。

 
ところが、最後の作品群に至って思いもかけない事態が出来した。ここに収められた『マザリンの宝石』でホームズはみずからがヴァイオリンを弾いているかのように犯人を欺くためグラモフォン(蓄音機)を使い、『ガリデブが三人』ではベーカー街のオフィスから依頼人にテレフォン(電話)をかけて打ち合わせをしている。そう、やがて20世紀を通じて全世界へ波及していくことになる新たなメディアが作中にお目見えしたのだ。

 
こうしたニューメディアは証拠と推理のあり方を根本から変えたはずだ。なぜなら、蓄音機によって、ある人物が発した音声をいつでもどこでも、その人物の死後でさえ再現できることになった。また、電話は、複数の人間が遠く離れていても自由自在に言葉を交わせることを可能にした。つまり、証拠や推理の土台となる時間と空間の条件を一変させてしまったのだ。その結果、ホームズのあまりにも有名な、初対面の相手の実情をたちどころに見抜く特技も発揮しようがなくなるだろう。「このていたらくじゃ、そろそろぼくも、かねて夢想しているささやかな農場に隠遁すべきときがきたらしい」と、ホームズが『這う男』のなかで弱音を吐いたのもむべなるかな。科学の時代の申し子だったかれも40年の歳月が経ち、ニューメディアを前にして、最後に帰るところは自然の懐だけとなった。それが、ホームズの物語を終焉させた真相だ。

 
何もこれはホームズにかぎった話ではあるまい。われわれ自身、若年のころに出会ったメディアによって形成された生活のスキルと思考が、やがて新登場のメディアによってあっさり無効となり途方に暮れることは、これまで骨身に沁みて経験してきたではないか。かと言って、現代のわれわれには帰るべき自然の懐も用意されていない。じゃあ、どこに向かえばいいのか、それが問題である。


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