アナログ派の愉しみ/本◎内田百閒 著『件』

ふたりの32歳の作家は
なぜ変身譚を書いたのか?


漱石門下で、法政大学などのドイツ語教師をつとめていた内田百閒が『件(くだん)』を雑誌『新小説』に発表したのは1921年(大正10年)、32歳となる年のことだった。

 
いかにもキテレツな小説である。ふと気がつくと、黄色い大きな月の下の野原で、私は顔だけが人間で首から下は牛の格好をした件に生まれ変わっていた。この化け物は3日しか生きられないが、その間に未来の吉凶を予言する能力を持っているとか。やがて、ウワサを聞きつけた老若男女が集まってきて私を取り囲み、何千人だか何万人だかの大群衆となって、みんな固唾を呑んでこちらが言葉を発するのを待ち構えている。なかにはバケツのようなものを手に近寄り、水をあてがって口を開かせようとする者もいる。目を凝らすと、よく知った顔がいくつもあるのだが、向こうはこちらの正体が見抜けないらしい。そうやって朝になり夜になり、次第に私のなかで恐ろしさがふくらんでいく。いつまでたっても予言することができないままに……。

 
およそテーマもプロットもあったものじゃない。文庫本でほんの10ページほどの短篇は、思い切り笑いたくなるような、しかしそれも馬鹿馬鹿しいような、わけのわからないうちに始まって終わってしまう。まったくもって、なんなのだろうか?

 
これより6年前の1915年、ドイツの雑誌『ヴァイセ・ブレッター』にやはりキテレツな小説が発表された。タイトルは『変身』、著者はフランツ・カフカで、このとき32歳だった。ある朝、若いセールスマンのグレーゴル・ザムザがベッドで目覚めると巨大な毒虫になっていた……という世界をあっと言わせたストーリーは、いまさら紹介するまでもないだろう。ことによるとドイツ語教師の百閒は、この作品を丸善なりで目に留めたかもしれないし、その刺激によって自分なりの変身譚を着想したのかもしれないが、そうした詮索よりも、わたしが注目したいのは両者の32歳という年齢だ。

 
『変身』の序盤で、グレーゴルがおよそ勝手の違う身体を、ともかくも自力で動かそうとする場面を引いてみよう。池内紀訳。

 
 おつぎが厄介だった。背中がひらべたくなっている。起き上がるには腕や手がいる。ところがいまや無数の脚があるだけで、それが勝手にモジャモジャして、自分にもどうにもならない。一つをためしに曲げようとすると、最初の脚がピンとのびた。そいつを使って、やっとのことでさしあたりの用を足したが、その間にも、ほかの脚は自由気ままにワヤワヤと動きつづけていた。「寝床でぼんやりしていてもはじまらない」グレーゴルは自分に言いきかせた。

 
一方、『件』の主人公が同様の行為におよんだところは、こんな具合だ。

 
 考えて見ようとしても、丸で掴まえ所のない様な気がした。私は前足を折って寝て見た。すると、毛の生えていない顎に原の砂がついて、気持がわるいから又起きた。そうして、ただそこいらを無暗(むやみ)に歩き回ったり、ぼんやり起ったりしている内に夜が更けた。月が西の空に傾いて、夜明けが近くなると、西の方から大浪の様な風が吹いて来た。私は風の運んで来る砂のにおいを嗅ぎながら、これから件に生まれて初めての日が来るのだなと思った。

 
どうだろう? それぞれに昨日までとは異なるわが身を扱いかねながら、なんとかこの現実の不条理と折り合いをつけようとする態度には響きあうものがありそうだ。それは、20世紀初頭の時代における実存的不安を反映しているとしても、一方でごく単純に割り切ってしまえば、なんのことはない、30代の男のとりとめのない身体感覚がもたらしたものだろう。これまで少年期から青年期を通じてひたすら発展途上でやってきたのが、いつの間にか折り返し点を過ぎて、わが身が思うに任せず、手足を動かすのさえもどかしく感じられるようになったときの戸惑いと諦め。これらの変身譚は、そんな自分自身との「再会」の物語でもあるのではないか。

 
だとするなら、グレーゴルの無残な末路よりも、『件』の結びのほうがいっそう洞察に富んでいる、とわたしは思う。いよいよ3日の寿命が尽きかけるなかで、主人公は黄色い月に照らされ、前足をのばして三つ四つ大きな欠伸をしながら、こんなふうに述懐するのだ。「何だか死にそうもない様な気がして来た」――。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?