アナログ派の愉しみ/映画◎ミラー監督『アポロ11』

史上最大の
プレゼンテーションの記録


これまでの人生で出会った最大のイベントと言ったら、人類初の月面着陸だろう。1969年7月。東京・小平市のマッチ箱のような都営住宅に暮らす小学5年生のわたしも、白黒テレビの前にかじりついて、はるかな宇宙空間で繰り広げられるアポロ11号のアドヴェンチャーに固唾を呑んだものだ。テキサス州ヒューストンの管制センターとクルーとの交信が、いつも「すべて順調、すべて順調……」と同時通訳されたのが耳に残っている。そして、アームストロング船長が月面に降り立った瞬間の「ひとりの人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」のセリフには喘息持ちの少年もすっかり感動して、将来は宇宙飛行士になろうと誓ったのだ……。あとから考えると、われながらどうしてあそこまで血が騒いだのか不思議な気もする。

 
そんな積年の疑問に、トッド・ダグラス・ミラー監督の『アポロ11』(2019年)が重大なヒントを与えてくれた。これは、アポロ11号がケネディ宇宙センターの39A発射台から打ち上げられ、月面の「静かの海」に着陸して資料採取や実験を行い、地球へと帰還して太平洋上で空母ホーネットによって回収されるまでの9日間を、新たに発掘された70ミリ・フィルム映像や1万1000時間以上の未公開音声記録などをもとに再構成したドキュメンタリー映画だ。その鮮明なカラー映像が映しだす当時のNASA(アメリカ航空宇宙局)の科学技術力とヒューマンシステムの卓抜さには開いた口がふさがらず、半世紀後の現在も国産ロケットの打ち上げに汲々としている日本とのギャップにめまいを覚えたほどだ。

 
それはともかく、映画はさらにわたしが思いもしなかったもうひとつの圧倒的な現実を伝えてきた。もともとNASAのジェミニ計画からアポロ計画へと至る経緯は、ジョン・F・ケネディ大統領の「10年以内に人間を月へ送り込む」との演説(1961年5月)によってスタートを切ったもので、すなわち、アメリカにとってこのプロジェクトは科学的・軍事的という以上に、まず国家の政治的な課題として位置づけられていたわけだ。だからだろう、残された映像記録には有人月面着陸のミッションと並行して、それを国民にどのようにアピールするのかという方策に心を砕いている様子が窺われる。たとえば、すべての関係者が最も集中力を強いられるはずのロケット打ち上げに際しても、発射台を取り巻く観光気分の見物客たちに向かって歯切れのいいアナウンスが流れて、「船内の空気は酸素60%、窒素40%に調整されていますが、クルーは宇宙服を着ているので大丈夫です」とか、「エンジンの推力はおよそ3400トン、ロケットの重量は2900トンほどです。打ち上げまであと1分35秒となりました」とか、あたかもアップルやトヨタの新商品発表会のような賑々しい雰囲気に包まれていたことがわかるのだ。

 
まさしくプレゼンテーション! NASAに途方もない規模の予算(アポロ計画全体で約250億ドル)を注ぎ込んだプロジェクトについて、まずは納税者たる国民の支持を取りつけることが喫緊の課題だったのだろう。そんな当局にとって、いちばんの危機が訪れたのは打ち上げから4日目だった。アポロ11号は月の周囲軌道に入る準備をしていたタイミングだが、すでに世を去っていたケネディ大統領の実弟、エドワード・ケネディ上院議員がこの日、飲酒運転で事故を起こしたうえ同乗者を置き去りにして死亡させるという事件が勃発する。このスキャンダルに全米のマスコミは沸き立ち、ヒューストンの管制センターでは「みんなアポロを忘れてしまった」と嘆きの声の上がる光景が生々しく記録されているのだ。やがて、アームストロング船長がついに月面着陸に降り立ってくだんの名言を発すると、リチャード・ニクソン大統領も負けじとホワイトハウスの執務室から名調子の挨拶を送った。

 
「きみたちが成し遂げたことを誇りに思う。この偉業によって天界が人間界の一部となり、『静かの海』から呼びかけてくれた言葉がわれわれを平和と安寧に向けて奮起させるだろう。人類の歴史のなかのこの尊い一瞬に世界はひとつになれたのだ」

 
こうして、晴れて史上最大のプレゼンテーションが仕上げられていく。

 
まことに遺憾なことに、あのころ路線バスに乗っただけでも酔って気分が悪くなったわたしは早々に宇宙飛行士の夢を放棄せざるをえず、せめても小学校の校門脇の文具店で買い求めたアポロ11号の月着陸船イーグルのプラモデルを組み立てながら宇宙飛行士の気分を味わうよすがとした。アメリカのパワフルなプレゼンテーションは、極東の島国の少年のささやかな小遣いも散財させたのである。
 

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