アナログ派の愉しみ/音楽◎バッハ作曲『フランス組曲』

「女性的なるもの」
が奏でる音楽の花園


タワーレコードオンラインのセールで、イングリッド・ヘブラーの演奏によるバッハ作曲『フランス組曲』のCDを買い求めた。これまでもっぱら、ヘルムート・ヴァルヒャ、グレン・グールド、アンドラーシュ・シフ……といった男性のバッハのスペシャリストたちの録音に親しんできたわたしは、このオーストリア出身のモーツァルトを得意とする女性ピアニストがどんなバッハ演奏を披露するのか、まったく想像もつかなかった。かくして、スピーカーから冒頭の第1番のアルマンドの和音が鳴りだしたとたん、たっぷりと潤いを含んだ華やぎのある響きにたちまち魅了されてしまった。

 
 結婚してまもない頃、彼はわたくしのために自分でこしらえた一冊の音楽帳をくれました。――今でもそれは持っています。どんなに貧しくなっても、これだけは、わたくしの生きている限り、肌身離さずもっております。
 ある晩のこと、わたくしは四人の小さい者たちを寝ませてから、階下の居間の卓上蝋燭のもとに腰をおろして、とある楽譜から符を書きぬいておりますと、彼がこっそりわたくしの背後に歩みよって、背と隅が革になっている美しい緑色の装丁の、長方形の小冊子を眼の前におきました。その第一頁にはこう書いてありました。
 妻アンナ・マグダレーナ・バッハに贈る クラヴィーア小曲集 一七二二年に。

 
最初の妻を病気で失ったバッハは36歳のとき、16歳年下の宮廷ソプラノ歌手と再婚する。そのアンナ夫人がしたためた『バッハの思い出』(山下肇訳)の一節だ。もっとも、どうやら本人の真筆の記録ではなく、後世になってさまざまな資料をもとに再構成された文書らしいが、ここに登場する音楽帳は現存して「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」として知られている。よほど可愛かったのだろう、謹厳実直な「音楽の父」ヨハン・ゼバスティアン・バッハが新妻のクラヴィーア(鍵盤楽器)のレッスンのためにまとめた、この教本のなかに『フランス組曲』の大半も収められているのだ。

 
第1番から第6番まで、六つの組曲より成る。いずれもアルマンドからはじまって、サラバンドやガヴォット、メヌエットなどを経たのち、最後はジーグで結ぶという、ヨーロッパ各地に由来する舞曲を6~8曲ずつ組み合わせたもの。初級者向けの教材だけに簡素なつくりで書かれているけれど、それぞれ工夫を凝らした音楽がひしめきあう様子は、あたかも社交界のダンス・パーティでさんざめく着飾った女性たちにも譬えられるだろう。とりわけ有名な第5番のガヴォットは、演奏時間1分少々の小曲ながら、颯爽とした貴婦人のドレスが立てる衣擦れのようだ。

 
と、こんなふうにわたしが理解したのは、ヘブラーのピアノ演奏を耳にしたからに他ならない。その指先はひとつひとつの音符を瑞々しく紡ぎだし、馥郁たる香りさえ漂わせて、すべての人々に微笑みかけてくる。これまでわたしが聴いてきた男性演奏家たちはどうしたって乾いた理知が優っていたのに対し、彼女はみずからを平然と情意に委ねて憚らないのだ。半世紀近く前の1979年、53歳の時点で行われたこの録音は、まだ「女性的なるもの」が所与の条件として成り立った時代の音楽の花園であり、いまや多様な性のかたちが共存して「女性的なるもの」も相対化された状況において再現は至難だろう。

 
ところで、『フランス組曲』の名称はバッハが与えたものではない。だが、いかにも典雅な曲調のゆえだろう、バッハの生前からだれ言うともなくこう呼ばれていたらしい。

 
当時は神聖ローマ帝国の版図にあったドイツで音楽一族に生まれ、家業を受け継いで生活を維持するため各地の宮廷や教会を転々としながら膨大な作品を生みだしたバッハは、65年の生涯にわたってドイツの域外へ出ることは一度もなかった。しかし、そんなバッハとアンナ夫人にとって、この『フランス組曲』は、わが家の居間にいながらにしてブルボン王朝のパリのギャラントな空気を呼吸させてくれたろうし、それはまた、現代のわれわれが世界を股にかけて目まぐるしく飛びまわるよりも、ずっと刺激的で内実のある外国体験だったのではないだろうか。
 

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