アナログ派の愉しみ/映画◎本多猪四郎 監督『ゴジラ』

繰り返し日本に現れた
大怪獣の正体とは?


ゴジラ映画のシリーズ第一作となった本多猪四郎監督『ゴジラ』(1954年)には、時間的整合性を欠いたエピソードがある。いちばん目立つのは、小笠原諸島・大戸島に現れた巨大生物について、古生物学者の山根博士が国会に召喚されて「200万年前のジュラ紀」の恐竜の生き残りが水爆実験でよみがえったと見解を述べる場面だ。実際には約2億年前の地質年代との隔たりを百分の一に圧縮してみせたわけだが、まあ、恐竜と人類を出会わせるための設定とすれば目くじらを立てるまでもないだろう。それとは別にもっと重大な、わたしには見過ごすことのできないエピソードがある。

 
ゴジラは夜の東京湾・芝浦沖から上陸すると、待ち構えていた近代兵器による攻撃を蹴散らし、あたり一面を火の海にしながら第一京浜国道を北上して銀座に襲いかかった。このとき、いまにも崩れ落ちそうな松坂屋デパートの軒下で、母親が幼いふたりの娘を抱きしめてこう言い聞かせている。

 
「もうすぐ、もうすぐ、お父ちゃまのところへ行くのよ」

 
おそらく、この映画で最も痛ましい場面だろう。あたかも東京大空襲を思わせる地獄図のただなかで口にされるセリフに、胸の押しつぶされそうな感覚を味わったのはわたしだけではあるまい。母娘の「お父ちゃま」は太平洋戦争で若い命を散らしたのだ、と……。ところが、である。よく考えてみるとおかしいことに気づく。映画がつくられたのは戦後9年が経った時点だから、戦争未亡人の子どもがいたいけない幼児では計算が合わない。少なくとも小学校の後半には至っているはずで、いまさら母親の言いなりにおとなしく死を受け入れたりはしないだろう。これを一体、どう理解したらいいのか?

 
そもそも、ゴジラの接近にともなって政府が避難命令を出し、すっかり人影の絶えた銀座の街角に、なんだって母娘は足を運んでやってきたのだろう。こんなふうに判断するしかないではないか。彼女たちはあえてゴジラと相まみえるためにやってきた、すなわち、「お父ちゃま」とはゴジラそのものを指していたのだ、と。

 
こういうことだろう。太平洋戦争の敗北によって、われわれの社会から失われたもののひとつが「荒ぶる父親」だった。いざとなったらおのれを賭して、家族を守り、社会を守り、国家を守る、そんな野蛮なまでに頼もしい父親たちの消滅を、この映画はあからさまに描いている。たとえば、同じ年に公開された黒澤明監督の時代劇『七人の侍』では、野武士集団の襲来を知って断固戦うべしと宣言する村の長老を演じた高堂国典が、こちらでは大戸島の長老として伝説のゴジラの再来にうろたえ、村の若い娘を生贄に差しだすことまで口走る。また、『七人の侍』では助っ人武士の頭領たる勘兵衛を堂々とつとめた志村喬が、こちらでは前記の山根博士に扮して、貴重な生物のゴジラの抹殺にあくまで反対し、大勢の市民が犠牲となっても終始煮え切らないといった具合。だれひとり、みずからゴジラの前に立ちはだかって家族や社会を守ろうとする者はいなかった。

 
むしろ逆に、こうした戦後社会のありように怒気を発して出現したのがゴジラだったのではないか。母娘がどんな事情で身寄りのない境遇になったにせよ、自分たちを守ってくれるべき「荒ぶる父親」の不在に追いつめられ、ついに母親は子どもの手を引いてゴジラとひとつになる道を選択したのだと思う。

 
そうしたゴジラに対してさんざん逡巡したあげく挑んだのは、山根博士の弟子で戦争によって心身に深手を負ったマッドサイエンティスト(平田昭彦)だった。かれが極秘裏に開発した殺戮兵器を使って、自分の生命と引き換えにゴジラの息の根を止めた成り行きは、まさにフロイトの言う「父親殺し」であったろう。果たして、最終的に決着がついたのかどうか。すべてを見届けたあとで、山根博士はそっとつぶやく。

 
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が世界のどこかに現れるかもしれない」

 
この予言の半分が当たって、半分が外れたことは周知のとおりだ。確かにゴジラはそれが最後の一匹ではなく、以後もしぶとく現れ続けた。しかし、もはや水爆実験のたぐいとは無関係に、世界のどこかではなく日本列島においてだけ繰り返し出現したのである(アメリカ大陸のGODZILLAは別種の生きものだろう)。それはつまり、戦後70年あまりの歳月をとおして、21世紀となった現在もなお、「荒ぶる父親」が失われたままなのが理由であり、したがって、父親という存在がわれわれの社会を立て直さないかぎりこれからもゴジラはやってくるに違いない。
 

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