アナログ派の愉しみ/映画◎山田洋次 監督『家族』

1970年大阪万博が
いまに伝えるものとは


山田洋次監督の『家族』(1970年10月公開)は、その年の4月6日から10日にかけて日本列島を縦断した一家のドラマを描く。ごくふつうの庶民のほんの5日間の道行きに過ぎないけれど、まるで『旧約聖書』の出エジプト記の波瀾万丈な行程を眺めるかのように、わたしは手に汗握らずにはいられない。そう、このとき同じ日本列島に住み同じ時代の空気を吸っていたひとりとして。

 
長崎県西彼杵郡伊王島の炭鉱で働く風見精一(井川比佐志)は、この仕事に見切りをつけ、旧友が酪農を営む北海道の開拓村に新天地を求めて、まずは単身で出かけるつもりでいたところ、妻の民子(倍賞千恵子)の決断により、3歳の長男と1歳の長女も連れて一家揃って移住するたま、桜の咲き誇る長崎を旅立つ。また、同居する老父の源蔵(笠智衆)をともない、広島県福山市に住む弟(前田吟)のもとに託そうとしたものの果たせず、以後も引き続き同行する運びとなった。こうして、山陽本線から東海道新幹線、東北本線を経て、青函連絡船で北海道へ渡ってからは、室蘭本線、根室本線、標津線と乗り継いで根室支庁標津郡中標津駅に至り、さらにトラックでいまだ雪深い原野を運ばれて、ようやく旧友が待つバラックへと辿り着く……。

 
それはあまりにも過酷な旅だった。当時すでに高度経済成長のまっただなかにあったにせよ、今日に較べたら日本列島を移動するのにずっと大きなエネルギーを要したことはわたしもはっきりと覚えている。一行の面々はその負担に耐え切れず、上野駅の雑踏で幼い長女が引きつけてあっさり命を落とし、さらには老父の源蔵も目的地に到達して喜びを分かち合ったとたんろうそくの火が消えるように息を引き取ってしまう。しかし、涙にくれながらも苦難を乗り越えて、家族は明日への希望に立ち向かっていく。

 
そんな悲しみと逞しさが交錯する映画のいちばんの特徴は、オール・ロケーションによるセミ・ドキュメンタリーの手法で制作されていることで、上記のストーリーを演じる俳優たちの背後には、それぞれの土地の風景や人々がありのままに映り込んでいる。すなわち、この時代この日本列島に存在していたすべてがバックグラウンドのわけで、その意味ではわたしもスクリーンに登場しなくても参加者のひとりと言っていいだろう。こうした目線に立ったときに、出エジプト記なら行く手を遮る紅海がまっぷたつに割れるシーンさながら、最大のクライマックスをなしているのは「万国博覧会」の場面だ。

 
一家は慣れない列車に揺られて大阪駅までやってきたとき、すでに疲労困憊のさまを呈していたが、予約した新幹線までまだかなりの時間があり、せっかくの機会だからと開催中の万博会場に立ち寄ることにする。そこはおびただしい老若男女の波が行き交ってひと酔いするほどだったが、ともかく夫の精一が長男を連れてゲート越しに見学に向かったあと、妻の民子が幼い娘と休んでいると思いがけない人物に出くわした。チンケと呼ばれる伊王島のスケベおやじ(花沢徳衛)だ。民子は北海道までの旅費を工面するため色仕掛けでかれから3万円をせしめたのだが、それを根に持つチンケが偶然再会したのを幸い、警察沙汰にしてやるとわめくなり、彼女も負けじと怒鳴り返した。

 
「ここは進歩と調和の万博会場やろが。あんた、それでも日本人ねん!」

 
このときの倍賞千恵子の演技が生々しい。「進歩と調和」と口にしようとして呂律がまわらずどもるのだ。それは激高のあまりというより、当時の日本人にとっておよそ舌に馴染まない言葉だったからではないか。あのころ小学生だったわれわれは、三波春夫のうたう「世界の国からこんにちは」のテーマソングに合わせて踊らされ、「進歩と調和」のキャッチフレーズを呪文のように唱えさせられながら、そびえたつ太陽の塔のごとく、人類の輝かしい未来が開けていくものと子ども心に期待した。しかし、それから半世紀が経ったいま、世界では相変わらず悲惨な戦争や対立が繰り広げられ、平和憲法の日本では防衛力のいっそうの拡充をめざして邁進しようとしている。しょせん、ここが「進歩と調和」の行き着いた先だったわけだ。

 
ふたたび大阪で開催される万博(2025年)は「いのち輝く未来社会」をテーマに、世間に流布する「SDGs」が金科玉条のキャッチフレーズらしい。わたしはいまだにこの奇妙なアルファベットがぴんとこないクチだが、まあ、案じるまでもない。その行き着くもまた推して知るべし、と言ったら語弊があるだろうか?
 

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