アナログ派の愉しみ/音楽◎チャールズ・ミンガス演奏『直立猿人』

なぜ男たちは
雄叫びをあげるのか


昨年(2022年)のノーベル医学・生理学賞受賞者、スヴァンテ・ペーボの自叙伝『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(2014年)のなかに面白い記述がある。ネアンデルタール人のゲノム解析から、われわれ現生人類とのあいだに性的な関係のあったことが判明し、2010年5月に論文を発表する際にはさまざまな反発や攻撃の起きる可能性を予想したという。確かに、ある意味ではダーウィンの進化論以上にスキャンダラスな発見だったかもしれない。しかし、現実にはそうした懸念はおおむね杞憂に終わり、むしろ自己のルーツに興味を抱いて、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子を調べてほしいと申し出るひとが続々と現れたそうだ。そして――。

 
「9月の初めまでに、わたしはあるパターンに気づき始めた。そんなことを書き送ってきたのはほとんどが男性だったのだ。Eメールを読み返してみると、47名が、自分はネアンデルタール人だと思うと書いていたが、このうちの46名が男性だった。このことを教え子の学生に話すと、たぶん男性のほうが女性よりも遺伝学の研究により興味を抱くからでしょう、という答えだったが、そうでもなさそうだ。と言うのも、12名の女性から同様のメールが届いていたが、彼女らは、自分ではなく夫がネアンデルタール人ではないかと考えていたのだ!」(野中香方子訳)

 
まあ、そりゃそうだろう。ネアンデルタール人の一般的なイメージと言えば、毛むくじゃらのデカい図体で大股に歩く姿だろうから、そうした外見を男性に重ねあわせるのは当たり前の成り行きに違いない。一方で、もしダイエットや脱毛ケアにいそしむ女性をネアンデルタール人に譬えようものならセクハラの誹りさえ蒙りかねないだろう。現生人類が保有するネアンデルタール人由来のDNAの比率に、男女差はないとしても。そんなことを考えていた矢先、部屋のCD棚を物色していて一枚のアルバムが目に止まった。『直立猿人』。もう何年も耳にしていなかったモダン・ジャズの名盤を久しぶりにプレーヤーにかけてみて、わたしはのけぞってしまった。まるで自分がネアンデルタール人になったような気分に襲われたからだ。

 
リーダーのチャールズ・ミンガス(ベース)と、ジャッキー・マクリーン(アルトサックス)、J.R.モンテローズ(テナーサックス)、マル・ウォルドロン(ピアノ)、ウィリー・ジョーンズ(ドラムス)のクインテットによる演奏。アルバム・タイトルの曲は冒頭に置かれて「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」という四つのパートからなり、現生人類に先立って地球上に登場しながら絶滅した種族をテーマとしている。野心的というより誇大妄想といったほうがふさわしい代物なのだが、これが凄まじい。クラシックの交響楽のような緻密な構成のもとで、かれらが恐る恐る二本足で歩きはじめて以降の道のりが描かれていくのだが、ときにメロディを切り裂く集団即興演奏が沸き起こって強烈なエネルギーを発散するのだ。その瞬間、わたしの腸(はらわた)も共鳴して叫びだす……。

 
1956年1月にニューヨークで録音されたこのアルバムは、当時のアメリカを揺るがせていた公民権運動のうねりのなかから誕生したという。すなわち、白人優位の社会が黒色や黄色の肌の人種を差別して憚らない構図を、現生人類が過去に駆逐してきた同類の種族の運命になぞらえて告発しようとしたわけだが、しかし、5人のプレーヤーが不協和音をぶつけあう憤怒と抗議の絶叫さえ、われわれを陶酔の境地に引きずり込もうとするのはどうしたことだろう?

 
雄叫び。世の男性はだれしも、人生のなんらかのシーンで全身がひとつの楽器となったように大音声を発した経験があるはずだ。それが歓喜や威嚇の表明ではなく、たとえ怒りや悲しみに満ちたものだとしても、世界に向かって放たれる雄叫びというものにわれわれは痺れるような快感を覚えるものらしい。そうした生理的機構もまた、むくつけき外見と併せて、男性とネアンデルタール人のイメージを重ねあわせる結果をもたらしたと思うのだが、どうだろうか。もっとも、近年の研究によると、実際のネアンデルタール人はずっと繊細な感受性の持ち主だったそうで、もしホモ・サピエンスのこうした見解を知らされたらさぞや苦々しく受け止めるに違いないけれど。


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