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B-REVIEWマガジン12月前半号

→そもそもB-REVIEWってなに?


【B-REVIEWトピックス】

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10月期B-REVIEW杯受賞作品が発表。対象は星空そとば氏「九月の終わりを生きる」
11月26日、10月分のB-REVIEW杯最終選考結果が発表された。

計188作品の中から選ばれた大賞作品は、星空そとば氏「九月の終わりを生きる」だ。B-REVIEWで全26回行われた選考の中で、初期を除き初投稿から2ヶ月目のユーザーが大賞を受賞したケースは数える程しかない。また、最多投票作品は月夜乃海花 創作垢氏の「あいうえおを覚えた時、ままは泣いて喜んだ」であった。

【アドバイス募集タグが廃止・批評文の名称が推薦文へ変更】
12月より、アドバイス募集タグの廃止と批評文の名称を変更する旨が運営よりフォーラムで発表された。

アドバイス募集タグは、酷評OKタグに変わるものとして取り入れられた経緯がある。しかし、アドバイス募集タグを付けていない作品にアドバイスのコメントが禁止されている訳ではなかったことや、ビーレビ三ヶ条に反する事などを理由に廃止された。この廃止をもって、現存するタグは「ビーレビ杯不参加」のみとなる。
また、批評というネーミングによって否定的ニュアンスが容認されている事を理由に、批評文でなく推薦文と名称変更がなされた。アドバイスまた否定的ニュアンスはコメントに収束される事となる。

【11月投票参加数は前回から減少傾向】
11月投票参加数は20名と、10月の26名からダウンした。参加者は桐ヶ谷忍、左部右人、survof、蕪城一花、羽田恭、ふじりゅう、楽子、つつみ、仁川路朱鳥、afterglow、IHクッキングヒーター(2.5kW)、帆場蔵人、n、千才森 万葉、真清水るる、星空そとば、藤 一紀、yamabito、仲程、夢うつつ(敬称略)である。最多投票数は「それはせかいのような、はかいのような」「ある夕刻」「ザクロ祭り」「孫兵衛の顔」だ。12/5に投票期間が終了し、最終選考が既に開始されている。



【特集 B-REVIEWの「B」についての試論 by沙一】

B-REVIEWの「B」の意義について、疑問に思ったことはないだろうか? なぜ、「A」や他のアルファベットではいけなかったのか?

この「B」は、経緯としてはB-REVIEW発起人のかつて参加していた詩投稿サイト「文学極道」を外から批評するという意味を込めて、そのイニシャルから採られたという。だが、B-REVIEWが数多くの文芸作品を擁するいまとなっては、さらに広く多義的な「B」であっていいように思う。
もしこれがたとえばA-REVIEWであったとしたら、整然とした印象で、おもしろくなかっただろう。いうまでもなくBには、Aとの差異が表象されている。B、数字でいえば2である。1だけでは、なにも生まれない。人と人、言葉と言葉など、2以上からなるシナジーが、新しいものを生む。
B、副次的なるもの。B面、B級映画、Bボーイ、メインカルチャーに対するサブカルチャー、アングラ、インディーズ、路地裏、オルタナティブ。
詩誌を中心とした詩壇をAとするなら、ネットの詩界隈はBだといえる。
定型詩がAなら、自由詩はBである。
Bだからこそ、自由でいられる。Bだからこそ、変化のエネルギーがある。B-REVIEWは常に、オルタナティブな文芸の場でありつづけるだろう。


【あの詩にひとめぼれ】

【光 fromいまり】

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何故本作は人を惹き付けうるのか。
まず冒頭から。地面を定義し、太陽を「あるのだろうか」と存在を不明にすることで焦点を地面により一層合わせる。太陽の存在が不明な空に向かって芽吹く命、その力強さとのギャップがコントラストとして映える。
2連目で場面転換、かなり具体的なワンシーンが突然現れて驚く。
3連目、双葉となった芽。そして笛のような音で支配される聴覚。誕生という力強さをしっかりと残しつつ、しかし誕生という事象以外のほとんどが陰鬱で悲愴。
きぼう、やきのう、といった概念すら知らない命は、起こり得るあらゆる酷い現実を知っていきながら空へ伸びる。そこに響くのは笛の音と、ありがとうという言葉だけであっても、伸びる。いずれ花も咲くだろう、という詩句が胸に残る。
B-REVIEWに在籍しててよかったと思える詩です。私のこんな言葉ではとても語り尽くせない魅力がある。素晴らしくいい詩だし、何故良いのかを語るには更なる研究が必要だ。



【不定期コラム 天才博士によるマッドな実験第3回 -by三浦果実-】

前回に引き続き文学極道のブログから話を展開する。が、その前にこちらのびーれびマガジンについて。
なぜにマガジン発刊を評価するのかといえば、「びーれびとは現代詩投稿サイトである」というフレームを外してくれることを願っているから。SEO・アクセス数稼ぎを考慮すればびーれびサイト内でこういったことは展開することが賢明なやり方だと思われるかもしれない。それについては、だから、つまんないんです、の一言で済ませておきたい。
話は逸れる。サイト運営者というのは善良であり多くの人々から好かれる人柄であるべきだというのは、サイトに永続を求めるからである。永続を求めない私からすれば、びーれびの運営なんて長くて一年でいいと思う。短期間でサイトのコンセプトやカラーが激変していく場であって欲しいと思う。そんな話をするとよく「運営やりたい人なんていませんよ?」って訊いてくる人がいるけれども、やらなくて結構だし、誰もやる人がいなくなっても構わないんですが。と、思っている。
(あ、すみません、私は部外者でした。失言注意ね)
わざわざ悪い人ぶる必要はないけれども、、なんというかねえ、苦情だとか、参加者が減るとか、そんなこと気にするんだったら、そんなサイト潰せよって思うよ。びーれびはそういう大人の感覚が解る人の遊び場であって欲しいよね。そういう感性が豊かな人って中高生の方が居たりする。大人であっても解らない人は解らないものだよね。
なので、そんな「サイト維持・継続」がこびりつく前に、びーれびがサイト名でなくて、なんというか、、運動論かなにかの隠語のようになればいいなって思ってる。だから、マガジン発刊は素晴らしいことなんですよ。

前回は文学極道ブログ7月分からの話でしたが、その後の8月・9月はつまんない内容で、10月のブログから話を展開しようと思う。そこに登場する名言。「アフロ者に告ぐ」
で、この檄文に触れる前に、またまた逸れた話をする。
8月・9月分はつまらなかったと云ったけれど、本当につまらないの。面白い記事・興味を惹く記事って書き方の上手い・下手ではなく、経験の豊かさや知識の豊富さという背後に持ってるものの大きさでもない。それはびーれびにおける作品に対するコメントでも云えることでもある。
これって、他者に投影される自己、平たく云えば美意識を持っているか否かだけのことだと思う。もう一度云うが文章力という問題ではないし、いつも面白い文章が書ける人って稀にしかいない。そうではなくて、他人が興味を惹くことを書こうとする時に立ち上がるべきもの。他人との関係における、、、ああ、わかりやすく云うか。
独り善がりで孤立することが孤独なの。その独り善がりで孤立するものが、記事やコメントに有るかってこと。他人への共感や他人同士が共通して持つ常識とか、そんなことを前提にして書かれている文章は面白くないよ。本当にくだらない。
ダーザインさんや他の文学極道初期の発起人の人達の中にもそれを当たり前のように解っている人がいる。解っていない人の記事はつまらない。それは頭が良いとか理解力の問題ではなくてね、自己批判とかやりたまえよってことではないかと思う。
なんだか、前置きが長くなってしまった。「アフロ者に告ぐ」については次回としよう。みなさんも一回、ダーザインさんの檄文を読んどいてくださいね。


【ひといき四コマ by渡辺八畳@祝儀敷】

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【現代詩ガチャをひとひねり】

【names from完備】

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息絶えていい、と放つ主人公はまた「まぼろしを見せてくれ」と願う。切ないだとか、悲しいだとか、そんな生半可な言葉で表せない感情が込められた一作。むしろそんな言葉で表せるなら詩ではないよっすよね。
そして注目すべきは、こちらの作品に寄せられた熱いコメントの数々。いい作品も、いいコメントも、いつまでも色褪せないと感じさせてくれる。

《読者ピックアップ!》

ひそやかに一途に

当たり前の日常は、奇跡なんだなということを考えさせる詩でした。ひそやかに一途にというタイトル、
>だから紡いで 一生をかけて
>誰が忘れても 私だけはいつも
というところに、強い想いを感じます。
自分も大切に生きようと思いました。

ピックアップくださりありがとうございます。読者ピックアップは記事下段のアンケートよりご記入可能です。


【浮いて沈んでB-REVIEW】

【第5回 コメントが作るディープなコミュニティ】
ネット詩という言葉がレアリティ溢れるワードで無くなって久しいと感じる人々がいるかもしれない。しかし、ネット詩どころか詩人という概念が相対的にマイノリティな分野だというのに、マイノリティな枠組みの中で一般化した概念はマイノリティの域を出ることは出来ないと考える。
話は変わって、コメントについて考える。コメントが活発になればなるほど、その場所は広がりを持つ場所、つまりマイノリティからの逸脱へと繋がるのであろうか。
私はNOだと思料する。むしろコメントこそがマイノリティかつディープな世界へ繋がるのだと考える。
コメントが活発であればあるほど、一定のコミュニティが誕生する。コミュニティというのは良い反面厄介でもあり、歴が長ければ長いほど閉鎖的な、それこそ初見ユーザーが足を運びにくい異様なオーラを放つのではないだろうか。
勘違いして頂きたくないのは、私はそれを批判しているわけではない。逆にコメントが活発であり、ディープでコアな世界であるほど強烈な魅力を持ちうるのではないだろうか。
マイノリティからの脱却は理想であり、現実論ではない。
多くの参加者を有する、或いは多くのファンを有するアプリ、サイト、その他云々が当初から広く受け入れられるものであった訳では無い。
例えば一昔前は一世を風靡する存在だった動画配信サイトニコニコ動画は、今でこそ大衆に受け入れられる存在となったが開設から暫くは非常に尖った、極めて個性的な配信サイトであった。「トリッキーなシステムを面白いと感じる人だけ来ればいい」と言わんばかりの閉鎖的サービスが逆に人気を博し、有名動画配信サイトの一角を担うまでとなった(最近はかなり落ち込んでいるが)。
恐らく、ニコニコが当時として一般的なシステムしか取り入れていなかった場合はここまでの急成長は有り得なかったのではないか。
そして、B-REVIEWにも同じことが言えるのではないだろうか。凡庸な方向は中途半端な衰退のみを招き、先鋭的なシステムは人を選びこそするが惹き付ける。
B-REVIEWは永遠ではないのかもしれない。だからこそ、一瞬でも時代の先をいくB-REVIEWを見てみたい。


【後書き】

そこそこの評価を受けたものが、同じ事をやって持続して同じ評価を得られるとは限りません。同じもので評価を得られるのは一つのジャンルでトップに君臨する媒体だけであり、それ以外の零細媒体は常に目新しい何かを提供してこそ興味関心が生まれると思っています。
その意味では、B-REVIEWマガジンもいつかは飽きられると分かっていまして、それを甘んじて受け入れるほど怠惰でいたくはないですね。
ただ、新しいこと新しいこととごちゃごちゃ申したとしても、新しいことってめちゃくちゃ難しくて勝負手なんです。
とかうだうだ考えてたら、B-REVIEWマガジンって何気にバカ難しいな、と思います。そんな訳でチマチマ何かしら改変していくかもですので、よろしくです。


【執筆】

協力:現代詩投稿=批評プラットフォーム B-REVIEW



最後までお読み頂きありがとうございました!

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2019.12.8

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