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私が人間になるまで

私は、父、母、弟の4人家族の元に産まれ、10歳の頃から父型の祖父母、叔母と7人で暮していました。
小学生の頃の記憶は曖昧ですが、3年生まで泣きながら通っていた記憶があります。
勉強は可もなく、不可もなく、音楽が大好きな『女の子』でした。

中学校に上がり、吹奏楽部に入部。
楽器ごとにカーストが決まっていて、この頃からほぼ全ての教科についていけなくなり、学力の無さから端の席のチーム入り。
端の席のチームとは、主にバスクラリネット、バリトンサックス、チューバの低音を扱ういわゆる縁の下の力持ちのチーム。
学年順位はほとんど最後から数えた方が早い子たちの集まりでした。

正直、オシャレにも興味がなく、視力も悪かったため眼鏡をしての生活でした。髪の毛も伸ばしたまま、常に一括りにして過ごし、はっきり言うとブスでした。
いじめも大事になるようなものではなく陰湿で、恐らく担任の先生も気づいていなかったと思います。
ニュースや漫画になるようないじめではなかったので、特に誰かに言うことはありませんでした。

吹奏楽部引退後からは身なりを整え、コンタクトにし、化粧を覚えました。


家は、いつまでも居候をする叔母と母をいじめる祖母、酒で暴力的になる祖父、朝から夜、夜から朝まで働きに出る父、嫁いびりにストレスを感じ八つ当たりをする母、小学校でいじめられる弟という、なんとも不思議な構成になっていました。

とにかく私は、母から何度も「叔母のようにならないで」と言われ育ちました。

具体的には、
・50キロ以上太らない
・正社員になること
・常に誰かに見られていると思い口角をあげていること
・結婚して孫の顔を見せること
・大人になったら家を出ること

当時の私も叔母が本当に嫌いだったので、絶対ならない!!と固い意志をもっていました。勉強ができないことに関しては、その都度叱られてきましたが、希望する高校の偏差値が決して高くなかったため、合格してから何も言われなくなりました。


一旦話題を変えます。
タイトルの私が人間になるまでということについてです。
ここまで私は自分が女であると思って生きてきました。
忘れもしない、2013年12月25日。
私はこの日、自宅前の駐車場で、強姦未遂に遭います。

ただゴミを捨てに行っただけでした。
ゴミを捨てて、家に帰るまでの数分。
近所に住んでいた同級生が、塾の帰りに私を見かけて襲いにかかってきました。

あまりに帰らぬ私をきっと心配してくれた母が、私を見つけてくれました。
同級生は土下座していました。
私は泣いていたことしか覚えていません。

男はみんな頭が悪いから
男はみんなああいうことしか考えてないから
男はみんな女を見下してるから
だからお母さんは見下される前に、お父さんのことを掌で扱ってるの

母は私にそういいました。
私もそうだと思いました。
だから私は自分を女だということをやめました。
今でも言います、私は女ではなく人間です、と。

話を戻します。

高校入学。
福祉専門の高校です。
なのでクラスは2つしかありませんし、男子生徒もクラスに3人いるかいないかです。
高校1年生の時に生徒会に入りました。
3年生はいなくて2年生5名で形成された生徒会。
1人だけ男子生徒がいました。
1年生は私含めて3人。

後に私たち3人は生徒会を辞め、この男子生徒は停学処分と生徒会辞退になります。


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