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奈良の大雁塔

玄奘三蔵院伽藍

玄奘塔に玄奘三蔵の頭部の
ご頂骨が納められている。

1942年、南京で日本陸軍が土木作業中に
玄奘の墓を発見。
中国側と協議後、1944年に遺骨の一部を
日本仏教会に分けてもらう。
戦後、蒋介石からも持ち出しの
承諾を得ている。
薬師寺に来る前には埼玉県慈恩寺に
祀られていたが1981年薬師寺に分骨される。

ざっくりの流れだが、初めて知った時
頭をブ~ンと振られたような衝撃だった。
「えっ、あるの、日本に!」

小学生の時、中国に行くと固く決心した。
洛陽、西安 シルクロードこの言葉の響き
沸き立つものがある。

玄奘三蔵この竹のような人に憧れがあった。
スッ-----と天に向かって立つ
強く、且つしなやかな竹。

子供の頃「伝記」が好きで偉人や武将の本を
好んで読んでいた。少し年齢が上がると
良いエピソードばかり書かれた「伝記」とは
違う面を知り一気にトーンダウンするばかり
だったが、玄奘三蔵の印象は大人になり
もう少し情報を得ても変わることはない
私にとって珍しい人物だった。

「遺骨の一部」がある。
経緯はちょっと複雑なのだが
とにかく側に居る。心臓がバクバク
自然と胸の前で手を合わせる。

平山郁夫画伯の唐西域壁画殿 へと進む。
「大雁塔」の大きな絵が入ってすぐ
左手にあるのを見て動けくなった。

西安で見た「大雁塔」
あのザラザラした質感、
埃っぽい乾いた空気
ぐわぁっーーと全身で思い出す。

西安に行ったのは随分昔で
記憶は遠く彼方だったのに
こんなに感覚として思い出すんだ。
その事にも驚いていた。

写真より立体的に
空気感まで漂うリアル感。
大雁塔の方から私に迫ってくる。
ここは奈良だけど
好きなだけ「大雁塔」の前で
佇むことができた。










  • ・真身舎利を祀る裳階付き八角円堂。このご頂骨は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)12月23日に中華民国の首都・南京日本陸軍が土木作業中に偶然、かつて破壊された玄奘の墓を発見したことにより、中華民国と協議して1944年(昭和19年)にその遺骨の一部を日本仏教会に分けてもらった。戦後、さらに蒋介石からもその持ち出しの許諾を得ている。その後、ご頂骨は埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の慈恩寺に祀られていたが、1981年(昭和56年)に薬師寺に分骨された。

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