さいたま市岩槻区にある「玄奘塔」 東国の緑豊かなこの場所に それはひっそり聳えています。 玄奘三蔵を知った子供の頃 人間の「思い」とはこんなにも 凄まじいものなのか とその人生に圧倒されました。 そして骨になっても玄奘三蔵は (これは本人の意向ではないけれど) 旅を続けた事にも驚きました。 玄奘の遺骨は中国、インド・台湾・日本等 13か所に保存されていると言われており そのうちの1つが 埼玉県慈恩寺の飛び地境内の「玄奘塔」 基礎部分に納骨されています。 664年に長安
エミール・ガレのガラスの作品を 鑑賞しに横浜に足を運びました。 写真は「フランスの薔薇」大壺。 1902年の作品。 時間があったのでその後、 横浜イギリス館(横浜市指定文化財)を 訪ねました。 この付近には幕末~明治初期にかけ 居留地保護のためフランス軍や イギリス軍が駐屯していた。 両軍が撤退し、イギリス軍が駐屯していた 跡地に上海の大英工部総署による設計で 英国総領事公邸として1937年に建てられ 材料は全て上海方面から運ばれたそうだ。 内覧を終え、外観を撮影しよ
4度目の奈良旅で叶えたかった事の1つ。 それは 竹内街道の北に位置する當麻寺へ向かう 途中、近鉄当麻寺駅近くの 中将堂本舗の中将餅(よもぎ餅) を購入し味わう事。 5月の祝日。 店の外に行列が出来ていた。 列に並んで料金を支払った後、 「當麻寺に行ってくるので 2時間後に戻ります」とお店の人に伝え 中将餅(よもぎ餅)取り置きしてもらい ホクホクした気持ちで當麻寺へ向かった。 先日ラジオでタレントのI・H氏 (クイズが得意・バイク好き)が 奈良で草餅を食べた感想について
玄奘三蔵院伽藍 玄奘塔に玄奘三蔵の頭部の ご頂骨が納められている。 1942年、南京で日本陸軍が土木作業中に 玄奘の墓を発見。 中国側と協議後、1944年に遺骨の一部を 日本仏教会に分けてもらう。 戦後、蒋介石からも持ち出しの 承諾を得ている。 薬師寺に来る前には埼玉県慈恩寺に 祀られていたが1981年薬師寺に分骨される。 ざっくりの流れだが、初めて知った時 頭をブ~ンと振られたような衝撃だった。 「えっ、あるの、日本に!」 小学生の時、中国に行くと固く決心した。 洛
橿原考古学研究所附属博物館 御所市南郷大東遺跡の展示に 目を奪われました。 以前「極楽寺ひびき遺跡」には 行ったのですが 南郷大東遺跡に足を運ばなかった為、 心残りがありました。 5世紀。水辺の祭祀遺構。導水施設。 土器や木製品、製塩土器 植物遺体、 動物遺存体、石製品など 様々な遺物が出土した。 それらの遺物を用いて 槽付木樋(覆屋・垣根)周辺で 夜間に場面を分けて儀礼を執行した と考えられる。 とパネルでの説明があります。 文字だけではよく分からないのですが埴輪や 佐
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 やっと来ることが出来た。 「わっ、デカッ」 大きな独り言を発してしまう。 桜井市のメスリ山古墳の器台型埴輪 高さ2.4メートル、径1.3メートル 日本最大の大きさ。 ジャイアント馬場さんより大きい。 古墳の上に整然と並べられている。 この器台型埴輪 勿論、一気に造り上げることはできない。 筒を製作して乾かし、再度積み上げる事を繰り返し 時間をかけて慎重に造られた後、数日かけて焼く。 古墳の上に整然と並んでいる埴輪 ちょっと移動させよう
レンタルサイクルで瀬田遺跡(2世紀後半に築造された円形周溝墓)に向かったが迷っていると次の予定地の本薬師寺跡の東塔跡に到着してしまった。 藤原京周辺と資料館を見学した後、本薬師寺の金堂跡を見てない事に気づき戻る。民家のお庭に入るように進むと金堂の礎石が見れた。 史跡が好きなので、 自分の庭に遺跡、史跡があったらどんなに素敵だろう。。 なんて思っていたこともあったが 今回は、思い直した。 礎石が見れた事によってリアルに感じられる存在感。 いつものようにドキドキしてしまう。
小さな風穴も通らなくなるのは困るので、時に強引に旅に出ます。 宿、もしくは、交通のチケットを予約してしまう。 休暇も取れてないのに・・です。覚悟を決める。 「あ~行かなくちゃ」と重い腰をあげて計画を立てる。 計画はいつも綿密に。 1人旅、現地でオロオロしたくないので頑張ります。 5月 奈良の長谷寺の一切経蔵で法螺貝を吹くお坊さんを見てました。 かなり長時間、吹いておられました。 一瞬で古代へのタイムワープを味わうことが出来ました。 風を思い切り吸い込めました。 どんないき