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時間は待ってくれない、待ってくれたらいいのに。そんな、虚しさと希望の間で。

ちょっと悲しいニュースがあった。

とてもお世話になっていて、本当にいろいろ(シカを捌くのとか、山で遊ぶのとか、犬を散歩させてもらったりだとか)させてもらっていて、端々から、私が今抱いている地域の人の自然を見る目や関わり方、価値観、なんのために働くか?誰のために働き生きるのか??そんなところをたぶん教えてもらっていた、地域のおばあちゃんが亡くなった。

すごく働き者で、いつでも働いていて、でも楽しそうで、元気で、陽気で、いつでも笑顔で迎えてくれた強い人だった。

地域での活動を始めてから、地域の人と関わってその人の想いとか根底にある価値観とかを拾って学ぼうと思って接してきてたけれど、周りの人やこれからを思ってその幸せのために動いている人が心からすてきだなと思う。

私が地域で活動しているのは、
一つに自然の何万年も続く部分の奥深さが、あと100年、1000年先も続く幸せを考えるのに絶対に必要だと思ったから
二つ目にそんな自然との関わりをかなり長いスパンでやってきた伝統や知識文化が残っている地域の人、その人たちの根底にある考え方や価値観をヒントに100年。1000年続く幸せを表現したいと思ったから。

人生、生き急いでる、とよく言われる。
40歳、50歳でできたらいいじゃん、と。
短期思考じゃないかと。

確かにそうかもしれない。
でも、こうやって私が学びたい人かどんどん亡くなっていくこと、そうやって知識も技術も、考え方もどんどん消えていくところを見ているとこうしてはいられないと思う。

こうして、歴史は繰り返していくんだろうな。
伝わるものも伝わらなくて
学ぶものも学びきれなかった。

それでも、多分今の時代にこの価値観や大切なものをインストールして価値として残していくために、また新たな価値観を再構築し、未来に続く幸せを作っていくために。
今の時代にインストールするための手段も、伝えていくための手段も学ばねばならないし、表現の方法や、各々の生活にインストールする切り口も試行錯誤しなければならない。

本当に時間が足りない笑

時間は待ってくれないなあと思う。
待ってくれたらいいのに。

でも、この時間の制限がある中で生きるのが、想いをカタチにしていくのが人間に与えられた試練で使命なんだろうか。

まー本当はただ命を燃やして次に命をつなげばいいだけの人生、こうやって勝手に生きる意味を見出して勝手に満足している、それだけで幸せなはずなんだ


早く学んでいかないと消えていってしまうと焦りながら、
でも私たちがつくるもので喜んでくれる人、大好きだからまたいくよって言ってくれる人、そんな人たちがいることが嬉しくて。

自然や地域が大好きな人が、お金だとか仕事だとかでワクワクに向かえないところもなんとかしたくて。

焦りながらも、一緒につくっている人たちの希望でありたいと、その人たちのために潰すわけにはいかないぞと、無茶すぎることをやらせ続けるわけにはいかないぞと、着実に一歩ずつ進めていかなくちゃいけないと思っている。

こんなちょっとした虚しさと希望のあいだで、今週は生きていました。


でも、私はとても小さな希望を大きな希望と錯覚できる特殊能力があるので(みんな持ってます笑)これからもそんな希望に向かって地面を離れないように進んでいきます。


ではでは。




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