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母子家庭は可哀想?


私は物心がついたときから、"お父さん"と呼べる人がいない。

お父さんがいないことを知ったのは、4歳で保育園に通い出してからだった。
今思うと、母子手帳の苗字が修正液で消されて書き直されていたこと、アルバムも妙に切り取られた写真があったり、不思議なところがたくさんあった。

お父さんがいないと"可哀想"と言われることが多かった。しかし、幼い頃から何が可哀想なのか理解できなかった。母子家庭で育った私は、しっかり母の愛情を受けて育ったと思うし、なんならとっても幸せだと自信を持って言えるからだ。


毒吐くような言い方にはなるが、

ひとり親家庭は可哀想

と考える人の想像力の乏しさの方が可哀想だと私は思う。まず、ひとり親家庭で育った子どもにとってはそれが当たり前の環境だ。
ひとり親家庭以外に、夫婦のみの家族や、里親と子どもから成る家族など、家族というのは人によって違う。"可哀想"というのは、その人の決めつけであって、その言葉をかけられた子は惨めな思いをする。

あまりに捻くれていた高校時代の私は、母子家庭と聞いて"可哀想"と言う人のことを、人を平気で傷つけてることにも気づかず、自分は可哀想な人に同情してる優しいやつだと酔いしれてるのではないのか?と思っていた。

お父さんがいないことをカミングアウトすると、"ごめんね"と言われ気まずい空気になったり、"可哀想"と言われたりと、嫌な思いをたくさんしてきた。
だからこそ、少しずつお父さんがいないことを隠すようにまでなった。
世間では、普通の家族と言われる、両親と子どもから成る家族のもとで育った子たちには、母子家庭で育ったことを伝えると未だに気まずくなることはよくある。
だから、母子家庭が可哀想な理由をあげさせてみればびっくりするほど、ただの偏見だった。

普通なら父と母の両方から愛されるのに、ひとり親だと1人分の愛情しか受けられないから、可哀想。

だという。

偏見だとわかっていても、私はしっかり傷ついた。この感情の吐き出し方がわからなかった私は、母に八つ当たりした。「なんで私にお父さんいないの。」と何度も何度も聞いた。返事はなかった。

「お父さんとお母さんの結婚記念日のお祝いをしました。お父さん、お母さんおめでとう!そしていつもありがとう。」という幸せそうな投稿内容とともに映る友達の家族写真は今でも鮮明に覚えているほど、ものすごく羨ましかった。それと同時に傷口が抉られるような感覚でもあった。

その時は気が付かなかったけど、お父さんがいることが重要ではない。言わないだけで思ってたより、ひとり親家庭で育った人はいる。
親が2人いるから、2人分の愛情を受け取れると確定しているわけではない。親が2人いても愛情を感じられず、辛い思いをしてきた人だってたくさんいると思うから。

私がここで言いたいのは、家族の在り方は人それぞれだということ。母子家庭だから可哀想だと思わないでほしいです。

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