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真実の見わけ方を知っているか──『FUCT FULNESS』読書感想文

大大大ベストセラーだし、もちろんタイトルは知っていたんですけど。後学のために目を通しておくかくらいの軽い気持ちで読み始めたんですけど。
著者の人柄のせいなのか……すごく感動してしまいました。

感動したっていうのちょっと恥ずかしいのですが、でも、著者のようにユーモアと謙虚さのある人でいたいなとかなり本気で思いました。



クイズに惨敗

まず巻頭でお目見えするのはチンパンジークイズ!
3択問題なので、適当に答えても33%の回答率になるはず(つまりこれがチンパンジーにも劣るボーダーライン)。

で、私の正答率、2 / 13問
・・・・・・
全力でなにかに謝りたい。しんどい。

問われるのは、世界が直面しているといわれる人口増、貧困、男女格差や環境の問題。

「そりゃ、当然こうでしょ?」と自信満々で答える解答は、ことごとく間違いになります。
もう一度言いますけど、ことごとく間違いになります。

「それこそがファクトフルネスだ」と、冒頭から読者の頭を殴るようなインパクトある著者のつかみが最高。

エピソードがとにかく良い

私たちは知らないことに対し無自覚であり、しかも知らないことを知っているかのように悪気なく振る舞っている。
いかに事実を正しく見極める目を持ち、状況に応じて正しく使うかが重要。
というのが本書の趣旨だが、それ以上に随所に挿入される著者の経験したエピソードがすばらしくて、私はそこに大いに感動してしまった。

いいなあと思った箇所はたくさんあるが、そのごく一部を抜粋する。

ニーズの盲点

妊娠するとほぼ2年間生理がこない。生理用ナプキンのメーカーには、ありがたくないことだ。だから、世界中で女性一人当たりの子供の数が減っていることは、メーカーにとって喜ばしいことだし 〜中略〜 (本書の冒頭での定義による生活レベル)レベル2とレベル3にいる数十億人の有経女性に向けた生理用品の市場は、この数十年のあいだに爆発的に拡大してきた。
ところが 〜中略〜 欧米の大手生理用品メーカーは、レベル4にいる3億人の女性の新たなニーズを掘り起こそうと躍起になっていた。 〜中略〜 メーカーはますますニッチな分野の需要を掘り起こすための無駄な戦いに追われている。

p.193 第6章 パターン化本能

たとえ見誤っている観点が「ユーザーの母数取り方」という根本であっても、思い込みに気づくのはこうも難しい。

同じ勘違いをしていないだろうか?

1972年、医学部の4年生だったわたしは、インドのバンガロールにある医学学校で学んでいた。 〜中略〜 (授業を介して学生の知識の豊富さに圧倒された私は)教室を出ながら、別の学生に自分は4年生の授業に出るはずだったのにと話した。「これがそうだよ」と相手は言った。
まさか。額にしるしをつけて、ヤシの木の下で暮らしている学生が、わたしよりはるかに知識豊富だなんて? 〜中略〜
西洋がいちばん進んでいて、このほかの地域は西洋に追いつけてないなんて、とんでもない勘違いだった。

p.199 第6章 パターン化本能 COLUMN

事実は、事実を目にするまで気づかない(さらに悪いのは、見てもなお認めない層も一定数いることだ)。

本物のビジョン

2013年5月12日、アフリカ連合が主催した「アフリカの再生と2063年の目標」という会議で、アフリカ中から集まった500人の女性リーダーを前に講演する機会をもらった。
〜中略〜 講演の後でズマ委員長がわたしのところに来て礼を言ったので、感想を聞いてみた。その返事にわたしはショックを受けた。
「そうね、図とか表はよくできてましたし、お話も上手だったけど、ビジョンがないわね」。
 〜中略〜 
「ああそうね、極度の貧困がなくなるって話ね。そこが始まりなのに、先生の話はそこで終わっていましたね。極度の貧困がなくなればアフリカ人は満足だと思っていらっしゃる? 普通に貧しいくらいがちょうどいいとでも?」
 〜中略〜 
「わたしの夢を言って差し上げましょうか?それはわたしの孫がヨーロッパに観光に行って、そちらの新幹線に乗ることですよ。だいぶ先のことですけど、きっとそうなります。もちろん、賢い判断も大きな投資も必要ですよ。でも50年もすればアフリカの人たちは観光客としてヨーロッパに歓迎される存在になります。難民として嫌がられるんじゃなくてね。それがビジョンというものよ」。一気にそう言い切ると、彼女の顔がパッと輝いて暖かい笑みが浮かんだ。「でもね、図とか表がよかったっていうのは本当よ。さあ、コーヒーでも飲みにいきましょう」
 

p.234 第7章 宿命本能

彼女のすごいところは、自分がすでに生きていないだろう時分までの長い時間軸で、本気で達成しようとしているビジョンをひいていることだ。
こんな利他的な思考を、どうやったら持てるだろうか? 圧倒的な人間の器。とてもかなわないと思う。

注意深く見れば、FACTは目の前にある

1994年から2004年までモザンビークの首相を勤めたパスコアル・モクンビは、2002年にストックホルムを訪れ、モザンビークが急激な経済発展を遂げているとわたしに教えてくれた。どうしてそう断言できるのですかと尋ねてみた。モザンビークの経済統計はあまりあてにならなかったからだ。
「もちろん、数字は見ているよ」と首相は言う。「でも、数字が間違っていることもある。だから毎年メイデーのお祭りをしっかり観察することにしたのさ。モザンビーク最大のお祭りだからね。市民の足元を見て、どんな靴を履いているかを観察するんだ。お祭りの日には、みんなめかし込んで出かける。友達の靴を借りたりできない。友達もおしゃれして祭りに繰り出すからね。だからいつもじっと足元を見ているんだ。裸足か、ボロ靴か、それともいい靴を履いているか。それで前の年と比べてみる」

p.247 第8章 単純化本能

国民に対する関心と愛なくしては、この観点に気づくことも、しっかりと観察することもできない。当事者として課題感を持ち、解決に向けて真摯に事にあたる首相の態度に、感銘を受ける。

失敗した時に必要なのは「犯人捜し」ではない

たとえば、飛行機事故を睡眠不足のパイロットのせいにしても、次の事故は防げない。次の事故を防ぐには、なぜパイロットはウトウトしてしまったのかを探るべきだろう。今後どうしたら睡眠不足のパイロットに操縦させないようにできるだろう? パイロットのウトウトを見つけた時点で考えるのをやめてしまったら、そこから先に進めない。世界の深刻な問題を理解するためには、問題を引き起こすシステムを見直さないといけない。犯人捜しをしている場合ではない。

p.265 第9章 犯人捜し本能

起こってしまったことを検証・分析するのは、解決につながる糸口を探るためであって、過失を責めるためではない(過失をきちんと裁くことが別途必要な場合もあるが)。逆に犯人捜しのようになるのが気まずくて、原因追求を曖昧にしがちになることもよくある。そういう時には「次に生かすために」という目的をきちんと共有することが大切なのだと思う。

平和をもたらすのは人と人の個人的な関係

わたしは多くの国や文化の違う人たちと関係を築くことに人生を費やしてきた。違う国の人と知り合うのは楽しいし、世界をより安全にするには個人の関係が欠かせない。人間には暴力で報復したがる愚かな本能がある。なにより邪悪なのは、戦争に訴える本能だ。こうした本能に対抗で来るのは、人と人との個人的な関係だ。

p.303 第10章 焦り本能

心から共感するポイントだった。
個人的な体験としても、実際に触れ合う体験を介して異文化で育った人を直に知ることの必要性を痛感している。あの国の国民性は……あの国はああだから……そんな世間の流言飛語も、実際に自分が出会ったことのある人間に置き換えたら「そうではない」「そうとも限らない」と別な見方ができるから。


まとめ

記事のはじめに書いたように、心が熱くなるような瞬間が時折訪れるような読書でした。
それは、著者が出会った人たちを「〇〇人」のような括りでなく「〇〇さん」個人として交流し、その人たちから学び取る姿勢を一貫して示してくれているからだと思います(著者が病床で書いた本ということもあり、カミングアウトともいえる内容も含んでいるので、ますます身をつまされます)。

私は、どれだけ目の前の人をその人自身として正しく見ているのだろうか?

このストーリーに触れて、今まで出会ってきたすてきな人について書きたくなりました。
その話については、次の記事に書こうと思います。


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