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片付けない事と見付けたり@ミニマリスト的考察

片付けるとは片付けない事

整理整頓とは良い事のように語られるが、本当にそうだろうか。ただ見えない所に押しやってるだけではないのか?いつか使うという言い訳を用意して箱に詰める。だがそのいつかが来た時には中々見つからない。諦めて買いなおす。そして別のモノを探しているときに出てくるそんな経験は誰でもあるだろう。どうすれば解決するか、それは片付けない事である。

捨てる習慣を身に着ける

片付けるのではなく捨てるのだ。何を捨てるのか、良く言われるのが、1年間使わなければ捨てる対象になる。というものだ。これはいい基準になると思う。なにしろ、どの季節でも使わないのだから本当に不必要なモノだろう。とにかく何かしらの基準を作って片付けるのではなく、ゴミ袋に入れるのだ。そうすれば月に一度は判断のタイミングが来る。本当に必要ならとっておけばいいし、捨てるのもいい。必要ならなんだかんだで、いずれ手元に返ってくるはずだ。

見えないが、そこにいる

私は収集癖があり何でも集めて箱に入れて押し入れに詰めていた。そして私は不安に駆られていた、これで引っ越しをすることになったら本当にできるのかと。不安は徐々になくなってくる。なにせ忘れるからだ。持っていたことも忘れ、片付けていたことも忘れる。だがいなくなったわけではない。私が断捨離に目覚めた時に大いに後悔するハメになった。

本当の敵は

厄介なのは、それが取り返しのつかない事ではない事なのだ。捨てるのはいつでもできる。行動するにはお金も手間もかかる。捨ててしまっては必要になった時に買いなおすハメになる。そんな言い訳が成り立ってしまうのだ。だから必要なのだ、片付けるのではなく捨てる習慣が。

意外に金はかかる

モノを捨てて、少ないモノで生きていくのは一見お金のかからない生活に見えるが、残念ながら金はかかる。我が国は資本主義ゆえに買うのは簡単だが捨てるのが大変なのだ。それにモノを捨てていく過程でより洗練されたモノを探すのにも金がかかる。だが、モノを片付けるというのは、たとえ押し入れの奥だったとしてもそこに家賃が発生しているのだということを意識して欲しい。モノが増えれば増えるほど狭くなり不便になるのだ。

自由を求めて

ならばなぜそうするのか。そこには絶対的な答えはない。たとえ煩雑に見えても本人が効率的に出来ればそれがその人にとっての最適解なのだ。それはいい。そこに私なりの答えを出すならば「自由」が増えるからだ。災害大国日本に住んでいる以上、今後どうなかわからない。持っているものが多ければそれだけ動きづらくなる。部屋も狭くする自由も増える。単身パックで引っ越せるならどこにでも自由に暮らせるだろう。

私は他のミニマリスト達にに比べればまだまだモノの多い生活をしてる。自由と洗練された生活を目指して日々精進していきたいと思う。

ではまた


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