4月28日三宅香帆さんのサイン会に行ってきました+本の感想

皆様、こんばんは。
5月になりましたね。書店員として働き出してもう1ヶ月·····メンタルダウンと持病のせいでどんだけ体力無くなってるねん。
そのことを改めて自覚し、リハビリのように仕事をさせていただいています。
ここ、数日は色々動いてたけど疲れで喉だけ炎症からの咳き込む状態になっています。
他は元気なのに、人にわかりやすい所がやられるという些か出会った人を不安にさせる体調が現在です。

それはさておき、本題に入りましょう。

先日、4月28日。私は一人で梅田に向かいました。目指すは紀伊國屋書店梅田本店。
はじまりは、書評家の三宅香帆さんのX(旧Twitter)のポストでした。
4月28日の15時頃に来てください·····と言う趣旨の匂わせのようで匂わせじゃないとご本人が評している文面でしたが、そこで普段はポンコツめな迷探偵でもピンと来て向かったのでした。

本当ならこの日は夫も休日で、一緒に地元の印刷所さんのイベントで牛乳石鹸コラボのシルクスクリーンとか楽しんでから優雅に行こうとしていましたが、私よりも一足先に珍しく行った出張疲れで風邪とお友達になって寝込んでいたこともあり、狙いは梅田!と絞りました。

梅田には、別の予定もあって行ったのですが、それについてはまた今度書こうと思います。
とにかく15時までに行く!!と紀伊國屋書店梅田本店へ一人辿り着くと10分前行動で辿り着いてしまいました。
それ自体はいいことかもしれませんが、書店で三宅さんと紀伊國屋書店の知り合い書店員さんが何か挨拶してるところを目撃し、あ、15時を少し過ぎてからこの近辺に戻らないと迷惑なやつ。などと勝手に察し、店内をウロウロ。

サイン本好きのアンテナに引っ掛かる作品を見つけたので、いくつか手に取り、最初に入ってきた場所へ戻ると、なんとゲリラサイン会の文字が!!

そうです。この日は新書で販売され、一時期新書棚から姿を消していた(今も地域により在庫ないですよね)「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を中心に著者自らサインをしてくれるってことをXで柔らかくお伝えしてくれていたのです。

私も既に手にしていた文庫本たちと共に会計を済ませ、サインの列へ。
しかし書店員になってから知り合いの書店員さんがスタッフしているサイン会に初参加だったので、妙な気分でした。
三宅さんご本人にお会いするのは、昨年の夏のライツ社さんがおなじ紀伊國屋書店で行なったサイン会以来だ。とお話したところ、梅田でしか会えない二人などと笑ってサイン会を後にしました。

帰ってから4月30日までの間に、サインをして頂いた「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んだので、ここに感想を書こうと思います。
まさか、サイン会参加記事を書くまでに読み終えると思っていなかったので、イレギュラーな記事展開になっています。

まず、私は三宅さんの著作を学生時代に出されていた本に沼るいわゆるオススメの本たちを紹介する本と普段のSNSのポストのイメージだけを持っていました。
つまり、ライトな語り口で分かりやすく書くイメージです。
しかし、今回の本は近代日本の労働史をキチンと調べ、なおかつその時代時代の労働者の精神、階級に対する認識、ジェンダーに対する時代の変化がしっかりと書かれていた。
文体でいくと、論文を普段本を読まない層でも分かりやすくかつ決して砕けすぎない絶妙なバランスの書き方だと読みはじめに感じた。

最初は『花束みたいな恋をした』という著者が好きな映画の場面などを用いて、労働と読書が両立していない場面を通して問題提起がはじまる。
長時間労働をしている日本人がなぜ本を読むようになったのか。

意外なのか分からないが、今のように自己啓発書などがブームになったのは明治以降らしい。
江戸時代も『南総里見八犬伝』などあったのに、と不思議に思いつつも読み進めていくと確かに明治以前はエリート階級かどうか関係なく読む。
この環境は整っていなかっただろう。貧しい地域では子供を寺子屋どころか明治にできた学校ですら、働き手が減るからと最初は渋っていたなどと紹介する歴史マンガなどを子供の頃に見た気がしたので、納得の話だ。
身分に関係なく、男性が立身出世を目指せると言われた時代なら他者を追い抜こうと読むだろう。

一方で日本人の労働は長時間労働傾向が強まっていくにつれて、いかに効率よく読むか。この点が重視される「読書術」ももてはやされた。

更に高度成長期前後になると司馬遼太郎作品が、サラリーマンの間でブームとなる。今でもこの年代に労働者だった男性などは、他の小説は普段読まないが、司馬遼太郎の本は持っている。なんて人もいるかもしれない。
それほど、司馬遼太郎本人が望むと望まざると関係なく、多大な影響を与えたようだ。
実際に私も昔、近所に住んでいたおじい様に引っ越すから形見代わりに、と夫婦で司馬遼太郎の坂本龍馬の本をいただいた。

また、ここは生まれる前後で知らなかったのだが、女性がカルチャーセンターに行ってそこから芥川賞を受賞したこともある。この時期の女性たちの変化を男性たちは否定的に批判していたことも紹介されている。

インターネットの発展も読書に変化をもたらした自分の欲しい情報を一切のノイズなく手に入るインターネット検索と派生する知識というノイズも交えて読む読書。
ノイズを嫌う層は、読書から離れ情報だけが素早く手に入るインターネットを操るものが、情強だと信じる時代に突入した。

そして、著者は全身全霊で仕事に全力投球する時代を変え、半身は仕事を、半身は読書や家庭のこと、趣味のことなどにバランスよく使う社会にしていこうと提唱している。

正直、読書についてはビジネス書や小説など読むジャンルによって読者間でも優劣をつける傾向がある。
ましてや、インターネットで得た最新の情報よりも本の方が遅れている。また書店員の待遇などの問題もあるのだろう。一部のSNSでの声で本屋大賞などは女性の声が反映されすぎているから、男性作家の本が大賞を取れないなどと言う意見も見受けられた。
しかし、それは本当だろうか?ビジネス書はおそらくあるテーマが売れると他社が売上のため二番煎じ、三番煎じと目新しい情報がないにも関わらず本の出版点数を増やすところもあるので、その点はビジネス書に関わらず考えるべき点かもしれない。
だが、小説も玉石混交状態であり、どんなジャンルでもその本を手に取る人の状況(精神状態や労働環境、家庭環境など)が反映されている結果であり、自分の苦手なあるいは嫌いなジャンルを下に見ていいものではないと考える。

次に、インターネットは確かに今すぐ欲しい情報を手に入れるには有益だ。しかし、自分という器を育てるためにはあえて著者が書いた「ノイズ」要は寄り道の知識も必要だと受け入れるべきだと言う点に賛成を示したい。
私自身、社会人として働きながら仕事に全く関係の無い通信制の大学に入り直し、よく不要論が唱えられている文学部で文学論も歴史学も仕事終わりに必死で課題の小説や専門書を読んでレポートを書いたものだ。
その経験が、このnoteの執筆や地元の伝統芸能を盛り上げるボランティア、果ては書店員への転職にと活かされているのだから、人生どうなるかなんて、その勉強をしようと思った当時は分からないものだ。
これが、一切のノイズなく、稼げる資格だけ勉強を、と行なっていたらきっと今、知り合えた方々とのご縁もなかったことだけは確かだ。

その経験と三宅さんの著作を通して私が思うことは、人はもっと仕事以外のことに時間を割いてもいいし、自分の心身を大切にしてもいい。
ただ、その社会を実現するためには同じ読書好きな人たち、あるいは男女間でもお互いを尊重し合える心のゆとりを持つことが必要不可欠だと言う簡単そうで難しい課題も常に念頭に置いて行動する必要があると私は考える。

今回はやたらと真面目に締めくくってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

次回もまたどうぞよろしくお願い致します。

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