見出し画像

なぜ量子力学は難しいのか

はじめに

"量子"への期待は高まっている

量子コンピュータ開発への期待が高まりつつあるおかげか、10年ほど前までと比較して"量子"と名のついた話題を多く見かけるようになりました。
特に量子情報分野への関心度は確実に高まっており、量子コンピュータの他にも

  • 量子もつれ

  • 量子暗号

  • 量子テレポーテーション

  • 量子アニーリング

などの用語を、日々のニュースや雑誌で目にする機会は増えているように思います。上で挙げた"量子"と名がついた技術や理論は"量子力学"という学問から発展させたもので、量子力学が説明する不可思議な現象・結果は日々動画サイトや雑誌でも紹介されており、見る人の知的好奇心をくすぐっています。

私自身も幼少期にそうした情報に触れて、漠然と「量子力学って面白そう」と思い、いつか本格的に量子力学を学びたいと思っていました。このnoteを読んでくださっている人の中にもそのような思いをお持ちの方は少なくないかもしれません。

量子力学はむずかしい

しかし、量子力学をきちんと習得することは容易ではありません。
巷で目にする結果を理論的に導出するためには、ある程度の知識が必要です。

加えて量子力学を一通り勉強しても、例えば量子暗号の知識がつくわけではなく、量子技術に応用するためには量子力学から派生した他の"量子"と名の付く学問(それらをまとめて"量子論"といいます)を勉強する必要があります。
それらを含めて、広く量子の世界を理解するためには知識に加えて多分に根気も必要です。

なるべく易しく、分かりやすく量子力学を学べる教材も、書店に行けば何冊かはあります。私自身も量子力学をなるべく分かりやすく解説した記事を執筆したいと常に思っているのですが、それでもやっぱり、本質的に量子力学は難しい学問です。
ではなぜ難しいのか?
個人的に思ったことをそのまま書き下してみました。

前提知識が多すぎる

量子力学が難しいとされる最大の原因は、求められる数学や物理学の知識の幅がやたらと広いからです。それまでの数学・物理を土台として発展したのが量子力学なので、当たり前と言われればそれまでですが。

数学と物理

ざっと必要な学問と具体的な内容を挙げるとこんな感じです。

  • 解析学 : 偏微分方程式とそれまでに学んだ内容

  • 代数学 : ベクトル、固有値方程式、線形変換、(群)

  • 集合論 : ユークリッド空間、ヒルベルト空間、部分集合(空間)

  • 解析力学 : ラグランジュの運動方程式、ハミルトンの運動方程式

  • 統計力学 : 位相空間、フェルミ分布、ボース分布

  • 古典力学 : ニュートンの運動方程式、単振り子の運動

  • 電磁気学:マクスウェルの方程式、電磁波

  • デルタ関数・フーリエ変換

どれが一つをがっつり使うというよりも、あちらこちらで色んな学問の知識がしれっと登場します。これらの学問は、普段は量子力学の背後に鎮座するかのようにおとなしくしていて、時折ひょっこり顔を出すように必要になります。
全てを知らなくても量子力学の勉強はできますが、一つ一つ登場するわからない項目を潰していると、いつの間に別の学問に足を突っ込んでいる、という学問の「沼」にはまりやすいのが量子論です。

なんだか書いているこっちがめまいがしてきました。

量子力学特有の概念

おそらく量子力学でしか使わないだろうな、という前提知識も結構あります。

  • 演算子

  • エルミート共役

  • ハミルトニアン

  • 波動関数

  • 交換関係

それぞれの意味を書くと日が暮れるので説明は割愛します。私の大学では講義の最初の方でこれらの解説を淡々と聞かされましたが、夢の世界に行っている学生が大半でした。

学生からすると
「数学的な準備がとにかく長くて、量子力学の結論まで辿り着くまで待ってられない!」
というわけで、量子力学の習得には根気が必要になります。

量子力学は出発点である

量子力学の講義を終えても、研究に使うためにはさらに険しい山が待ち構えています。

記法・表示

量子力学では最も基礎的な記法として主に関数と微分積分を使った表記法を使いますが、実はそれ以外にも様々な記法や表示が登場します。

  • ブラケット

  • 完全系

  • 密度行列

  • 場の量子化(第二量子化)

  • シュレーディンガー表示

  • ハイゼンベルグ表示

  • 相互作用表示

これらも多分、ちょっと詳細に書こうとすると次の日になっていると思うので割愛します。

総じて言えるのは、全く同じ結論に至るまでに色んな記法やら表示の仕方があるということです。量子論の勉強は、最終的に参考書を漁るしかないのですが筆者や書籍によって記法が変わるので、読み手としてはそれらを判断する必要があります。これがまた厄介です。

シュレーディンガー方程式にもいろいろある

量子力学の基礎方程式として有名な、"シュレーディンガー方程式"も先ほどの記法・表示に合わせていろいろな形があります。

ニュートンの運動方程式のように初期条件や境界条件によって解の形が変わるのではなく、同じ結論に至るまでに異なる記法や表示が複数あるのです。

また、シュレーディンガー方程式を発展させた似て非なる方程式もあるため、理論の核をしっかり認識しておかないと、自分が今何を計算しているのかよくわからなくなります。

相対論的量子力学

相対論とはアインシュタインが提唱した相対性理論のことです。
シュレーディンガー方程式は非相対論の方程式なので、光速に近い速度の粒子に対しては使えません。

光速に近い速度では、シュレーディンガー方程式に相対論的効果を取り入れた「ディラック方程式」という方程式を解く必要があります。

シュレーディンガー方程式は、ディラック方程式の非相対論極限の近似であるといえると思います。 
これに関しては、私も勉強不足なのであまり触れないでおきます。

日常の役に立たない

すぐによくわからなくなる

量子力学の理論展開はほとんど全て数学を通して行います。理論だけを扱っていると、まるで机上の空論を展開しているような気分になるので、自分が何をやっているのかを常に立ち戻って意識しておく必要があります。

物理学とは現象を正しく説明することが目標の一つなので、理論だけを構築しても実際の現象をうまく説明できなければ妥当な理論とはいえません。

また、量子ほどのミクロな領域は、ミジンコのように顕微鏡を使って直接観測することができず、実験的にどのように量子効果を観測するかも一般的に困難です。
そうなると、どうしても実際の現象と理論を照らし合わせることすら一筋縄ではいきません。

誰もわからない

どの学問もそうだと思いますが、量子力学には特に未解決な部分が多くあります。勉強し始めると、すぐに前提や定義の説明があるのでそれ以上を立ち入って議論することができません。(ただし、そうした理論でも現象論的に説明することができれば、ひとまずその理論は間違いではないことになります。)

そのため他人に説明するときに、分かりやすく伝えるために独自の解釈が入ったり、聞き手からするとどうしてもハッキリしない物言いに聞こえることが多いです。

こうした未解決の量子論の本質に踏み込むと厄介なことになるで、なるべく立ち入りたくないと考えて、単なるツールとして活用している科学者も多いと思います。

現象が不可思議で日常生活との乖離が激しい

電子の「粒子であり、波である」性質のように、量子力学では私たちの直感とは大きく離れた描像が多く登場します。
それらの現象を面白がる分にはまだいいのですが、量子力学はミクロで根源的な学問なので、せっかく一生懸命勉強したのに職場でも日常生活でも滅多に使えません。

例えば、買い物するためにスーパーマーケットに行っても、
「あ!これが量子もつれ!」
「これが角運動量!」
「ここにもスピンが使われている!」
「量子力学勉強していてよかった」
とはなりません。

実際には、日常の奥深くの技術に量子力学の理論が使われているのですが、それらを知らなくても何ら問題ないです。

相手に説明することが難しい

せっかく量子力学に興味を持ってくれたのなら、その相手にはなるべく量子の世界を踏み込んで勉強してほしいものです。しかし、一口に量子力学といっても相手にわかってもらいやすい事柄から、非常に話す人を選ぶ内容まで、その話題は多岐に渡ります。

もしも話す人を間違えて、
「ここに量子力学が使われている!」
「量子力学はここが面白い!」
と力説しようものなら、逆に相手に引かれて今後の関係を良好に築けないかもしれません。相手の立場に立って、分かりやすく量子力学を説明することは非常に難しいです。とりわけ、量子力学に関心のない人に興味を持ってもらうのはさらに難しいです。

こうした量子力学にまつわる話題の齟齬は、日常生活でなくても、一般に知の殿堂とされる大学の中でさえ起こりえます。

例えば、長い期間をかけて頑張って研究し、それらの中から適切な発表内容とスライドを考えて何回も発表練習したにも関わらず、いざ発表すると相手の頭の上に"?"が浮かぶか、あるいは頭を傾げられて終わるようなことです。

そんな体験をすると、
「頑張ったけどわかってもらえなかったな」
「自分が研究している意味・意義って本当にあるのだろうか」
などと自分自身に疑問を投げかけざるを得ません。

学問や研究の面白さ、達成感を周囲に理解してもらえない孤独感を味わうのも、量子力学を勉強している人の宿命かもしれません。

じゃあ、量子力学を学ぶ意味はないのか

量子力学が広く理解されていない理由をまとめるとこうだと思います。

  • 量子力学を勉強するまでに必要な知識が多くて難しい

  • 量子力学を勉強したと思ったら、それは広い量子論の一部である。

  • 導き出される成果も、直接身の回りとの関連が薄い

それでは、量子力学を学ぶことの面白さ・意味・意義はないのでしょうか。自分なりに考えたことを書きました。

学問のネットワーク

量子力学を学ぶためには幅広い知識が必要です。
しかし、量子力学を勉強し始めるとそれまで「暗記ゲー」などと皆さんが何の意義も持たずに勉強させられた一つ一つの要素が、まるでネットワークのようにつながっていきます。

ただの要素であった単なる知識に、確固たる意味が生まれてくるのです。
例えば、高校数学の範囲では

  • 三角関数

  • ベクトル

  • 集合

  • 虚数

  • 確率

でしょうか。大学の範囲では

  • 微分方程式

  • 線型写像

  • ユークリッド空間

  • 級数展開

などです。

最近では、大人でも多くの人がゲームをしていますが、勉強とはゲームのステージやクエストをクリアしていく感覚に近いと思います。個人的には学問はゲームよりも自由度が高く、加えて明確なクリアというものがありません。単純に難易度も高いです。

それでも、ステップを踏んで理解が進むことで、自分がレベルアップしていると感じられるので、苦しいですが楽しくなくもないです。

世の中の仕組みがわかる

量子力学以外でも物理学を深く勉強すると、身の回りの物理現象を理解する助けになります。

子どもの頃、こんなことをふと疑問に思ったことはないでしょうか。

  • なぜ物はすり抜けないのか

  • 磁石はなぜくっつくのか

  • なぜ空は青いのか

  • 物質の成り立ち

  • 星はどれほど遠くにあるのか

そうした素朴な疑問に答えてくれるのが、物理です。

より工学的には

  • 照明器具の発光原理

  • 電子回路の仕組み

  • 超伝導の原理

  • 量子コンピュータの原理

などが挙げられます。物理とは身の回りの現象を正しく捉えるためのツールであり、それらを深く追求した領域が量子力学です。
一見すると私たちに関係ないようでも、必ずどこかで繋がり私たちの生活の基盤を支えています。その一端に触れることは、人類の発展に有意義だと考えています。

まとめ

今回は、大学院で量子力学の知識を活用している身として、なぜ量子力学が難しいのかを書いてみました。

量子論は難しい学問なのでいろいろな面で理解者も少なく、正直孤独な旅をしている感覚に近いです。そうした色んな意味を込めて「学問は山登りに似ている」という人もいます。
登頂した者にしか山頂からの景色が見えないように、学び抜いた者にしか見えない景色もきっとあると思います。

もう少し山登りを続けていきたいと思います。
拙い文章ですが、ご覧いただきありがとうございました。
よろしければ、他のnoteもご覧いただけると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?