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 小説「卵かけご飯としらす干し」                         住野アマラ

  

しらすと目が合った。
 しらす君は何にも言わずに僕を見ている。
小さな丸い目の小さな黒い丸が、瞬きもせずに僕を見ている。
 
「わたる~。早く顔を洗ってご飯食べなさ~い」
キッチンからママのハイトーンボイスが聞こえる。
今日は学校の給食がお休みなのでお弁当の日。僕の小学校の給食はとても美味しくて、残した事なんてないけど、ママのお弁当の方が好き。だって、僕の大好きなものだけが詰め込まれているお弁当だからだ。
お弁当箱の中は、鶏肉の肉そぼろと炒り卵の二色弁当と、それとタコさんウインナーとブロッコリーとプチトマトのはずだ。本当は野菜とか、あんまり食べたくはないけど、ブロッコリーの上にはママ手作りのタルタルソースがかかっていてマジ旨いし、トマトはフルーツみたいに甘いやつだから食べられる。
ママは久しぶりに寝坊したとか、目覚まし時計が壊れていたとか(僕のせいで)単一の乾電池の買い置きが無いとか(ぼくのせいじゃない)朝からずっと騒いでいる。
いつもなら、あと10分は寝ていられたのに、ママがヒスを起こして僕の掛け布団を引っぺがした。
僕が風邪を引いて学校に行けなくなったらどうするんだ。ゴホンゴホン。
無理やりに早く起こされたから眠いし、それに頭がモヤッとする。何か大事な事を忘れている気がするけど思い出せない。
漢字の宿題は?やった。ドリルは?やった。読書感想文はまだ書いていない。というより本を読んでいない。
杉山先生は本を読むのはすごく大事な事だと言うけど。僕はあんまり好きじゃない。どっちかというと嫌いだ。
この「かもめのジャナサン」って本は有名な本なのかな?大体、題名が小学校四年生には子供っぽいよ。
どっちかといえば理科の実験とかの方が僕には向いてる。
重さを量ったり、磁石をいくつもつないだりするのが得意だ。
この間の豆電球と乾電池の実験も、明かりを点けられたのが僕がクラスの中で一番早かった。航太も早かったけど、僕の方が絶対に早かった。先生は「二人は同時だね」と言ったけど、違う。
僕の方がコンマレイ何秒か早かった。
山田航太はいつも僕の真似ばかりする。僕のやろうとする事を何でも真似したがる。
ムカつく奴。だから僕はいつでも航太を監視している。
そうだ、今日は虫眼鏡を持って行こう。
校庭で蟻を観察するのだ。
昼休みの教室で、航太が桃花ちゃんや陽菜ちゃんに虫眼鏡を見せびらかして自慢していたのを僕は見ていた。
どうしてなのか、理由は分からないが航太はやたらに女子に人気がある。しかも可愛い方のグループの女子とよく話をしている。
女子というのは何を考えているのかまったく分からない。女って不思議な生き物だ。

ドン。トン。すちゃ。
僕の目の前に卵かけご飯用のアイテムが並べられた。
ご飯。殻が赤い卵。スプーン。
「今日はお弁当の日だから朝ごはんは簡単にそれよ」
ママが寝坊をした朝は、いつも卵かけご飯と決まっている。
僕は卵かけご飯が大好き。
ママはいつも朝ごはんを食べないで会社に行く。ママも卵かけご飯を食べればいいのに。 
ママは半開きの玄関ドアを足で押さえて、へアピンを口に咥え、鏡を見ながら髪を結わいている。
「ママはひゃきに行くかりゃ、鍵しゃんと閉めなしゃいヨ」
ハイハイ。ワカリマシタ。
ママが家に帰って来るのは僕の塾が終わってから。

僕の卵かけご飯の食べ方は特別だ。
パパから教えてもらったとびっきり美味しい誰も知らないやり方だ。
まず、卵を黄身と白身に分ける。で、熱々の白いご飯の上に白身だけをかける。ぐるぐるよくかき回す。
この黄味と白身を分けるのは、最初は上手く出来なかった。でも、何度も練習して出来るようになった。
入っちゃった卵の殻を取るのはパパの方が上手かったけど。
白身がご飯の熱で少し白くなったら、オリーブオイルをちょこぉっと垂らす。
サラダにかけるオリーブオイルって変な匂いだけど、これは大丈夫。サラダって食べる意味が分かんない。
そしてオリーブオイルとご飯が全体に馴染んだら…。

ここら辺から、パパの目が真剣になる。マジになる。
息を吐くのも、吸うのも、そおっとになる。
「ここがポイントだぞ、わたる」
眼鏡のレンズがキラランと光る。
「いいか、わたる。味の素を一振り、二振り、三、四と…ストップ‼かけ過ぎは駄目だぞ。四振り、四振りだけだ、いいな、分かったか、わたる…」

 でも味の素は瓶の下の方で固まっていて、中々出てこない。僕は赤いパンダ顔の瓶のお尻をテーブルの上でトントンしてから逆さまにして振ってみた。   
そして、味の素を卵かけご飯の上に四回振りかけた。 
「うん。パパ、四回やったよ」
 僕は仏壇のパパの写真に向かって「うんうん」と頷いた。
 パパは僕が四年生になる少し前に死んでしまった。一人で天国に行ってしまった。
 パパの仏壇はリビングの隣の和室に置いてある。そしてダイニングテーブルの椅子に座る僕をいつも斜め後ろから見ている。
「パパ、僕、上手に出来てるよ」
 さあ続いて、ご飯茶碗の横に待機させておいた卵の黄身をふっくらとしたご飯の上にそっと乗せる。
「小鳥を巣に乗せるように優しくだぞ」という天国のパパからのメッセージが聞こえた気がした。
最後に醤油を、のの字にたら~り。

ママには言ってないけど、パパが死んだのは多分、僕のせいだ、と思う。間違いない。 
ママは疲れてるのに、僕に何も言わない。
それで、いつも元気な振りをしている。
「長く苦しむより、今は楽になったんだからパパはこれで良かったのよ。もう辛いお
仕事もしなくていいし、天国で幸せに暮らしているだろうから、ママはちっとも悲しくないのよ」ってママは言うけどちゃんと嘘だって分かる。
時々、隠れて泣いているのを僕は知ってる。この間もトイレから出て来た時にママの目は真っ赤だった。
夜、誰かと電話で僕の事を話しているのも知ってる。
僕の事が心配だとかパパの会社と裁判がどうのとかを繰り返し話している。
ママ、僕の部屋のベランダから丸聞こえだよ。
僕は部屋の窓から誕生日にパパに買ってもらった天体望遠鏡を覗いて天国のパパを探してみる。
そりゃあ、僕だってもう大きいからパパがそのまんま天国にいるなんて思ってなんかいないよ。だって、パパの身体はお葬式の日に燃やしちゃったもん。
でもパパの気持ちみたいなものは、きっと天国とか、仏壇とかからママと僕を見てくれていると僕は思うんだ。
 目覚まし時計やテレビのリモコンを分解してしまう僕をママはいつも怒ってばっかり。でもパパは男の子だからそのぐらいは仕方ないよって言ってくれた。優しいパパ。
でも僕のせいでパパに大きなストレスがかかってしまって、それでパパは死んでしまったのかな。
去年も担任だった杉山先生だって僕に何か隠している。教室で皆の前で冗談を言う時なんかも僕の方を全然見ない。
航太が珍しい虫でも見るような目つきで僕に言った。
「お前のお父さん何で死んだの?」
「…病気だよ」
「何の病気?」航太は後ろに手を組み、左足から右足に体重を移してまた戻した。
「……」
僕は答えなかった。
「わたる君のパパはぁ、どこがぁ、悪かったのぉ?」
陽菜ちゃんが僕の顔を覗き込んだ。
僕は顎を引き、唇に力を入れた。
「…難しい病気だから…僕は、まだ知らなくてもいいって…ママが」
他の女子たちも集まって来た。
「わたるくん、かわいそうだね」
「うん。本当にかわいそう」
「わたるくん。元気出してね」
「私たちがいるからね」
「本当にかわいそうなわたるくん」
 皆が僕に代わる代わる声をかけて、次々に航太の横に並んだ。
僕は可哀そうなんだ。皆に可哀そうだと思われているんだ。それがとても恥ずかしかった。恥ずかしくて逃げ出したかった。
でも逃げたりしたら、泣いたりしたらダメな奴って思われる気がして僕はそのまま立ち続けた。
それに航太には負けたくない。航太に負けてしまう。航太にだけは負けたら駄目だ。
でも僕は知っているんだ。
航太が放課後、学校のしょうきゃくろの裏で、虫眼鏡で、太陽の光を蟻に当てて遊んでいるのを。
虫眼鏡の角度や距離を調整すると、太陽の熱で紙なんかに火をつける事が出来る。
僕は見ていたんだ。
航太が虫眼鏡を持って弱らせた蟻に焦点を合わせていて、そしたら蟻から白い煙が出てきて、それから「パチンッ」と音がして蟻が、蟻がはじけた。
「やだ~。可哀そう」とか「変な匂い~」とか言いながら、桃花ちゃんと陽菜ちゃんも横にしゃがんでずっと見ていた。

僕は蟻みたいに、可哀そうなんかじゃない。僕もパパも可哀そうじゃない。
だってパパも、僕も、こんなに美味しい卵かけご飯を知っているんだもの。

今日はいつもよりゆっくり出来る。
どうせ、一緒に集団登校をする皆は待ち合わせ場所にギリギリにしか来ない。
ママは牛乳を飲みなさいとテーブルの上に牛乳の入ったコップをいつも置いていくんだけど、えへへ、今日は忘れたみたい。
僕は牛乳を飲むとお腹が痛くなるから嫌い。代わりにしらす干しを食べろと言うけど、え?何で?色が同じで白いから?
よく分らないけどしらす干しは卵かけご飯との相性バッチリなんだ。

パパと僕のお気に入りの卵かけご飯のお供は…。ドゥル・ドゥル・ドゥルル…ジャーン。
第一位 しらす干し
第二位 福神漬け
第三位 納豆
第四位は忘れたけど第五位は青唐辛子の味噌漬けだって。これも長年のけんきゅうのせいかだってパパが言ってた。
僕は第五位の青唐辛子の味噌漬けは食べられない。一度食べてみたけど、すごく辛くて涙が出た。男の子が泣くんじゃないとパパに笑われたけど、本当に辛くて口の中がピリピリして痛かった。

僕はしらす干しをスプーンで二すくい卵かけご飯の上に乗せた。
じlっと、一匹のシラスが僕を睨んでいる。
他のしらす達よりも、やや大きめの一匹。
そのシラスが話し出した。
「やい。人・殺・し」
 シラスの口がパクパクと動いている。
「…ぼ、僕は君を殺してない」
 何て事を言うんだ、このシラスは。
「でも俺のこと、食べるんだろう」
シラスの言い方はねちっこい。
「君は人じゃない」
僕はシラスに、はっきりと言った。
「パパの事は?パパの事も殺したろう?」
「僕は、僕は、パパを殺してなんかいない」
僕はいつもより大きな声を出した。
「パパはお前のせいで死んだんだ」
「嘘だ‼」
「皆、そう思っているよ」
「嘘だ‼」
僕は椅子から立ち上がった。
ガタンと大きな音を立てて椅子が後ろに倒れた。
「蟻も殺したろう」
「僕は殺してない。航太が、航太が…一緒にやろうって言うから仕方なかったんだ」
「他人のせいにするのか」
「違う‼僕は止めようしたんだ。…止めようと…僕は…でも…」
僕は汗をかいた掌をパーからグーにした。

あの時、あの放課後、可哀そうだって顔をしながら桃花ちゃんも陽菜ちゃんも僕の事を見ていた。
だから、だから、僕は仕方なく桃花ちゃんの横に一緒にしゃがんで、航太の手元を見ていたんだ。
だから僕は見ていただけなんだ。何もやっていない。僕は殺してなんかいない。僕はやっていない。
目の前が光った。 
目の前が光って、それで、真っ白になって、それから、すごく眩しくて、僕は、両手一杯で目を押さえた。
ゆっくり目を開けると皆笑っていた。
 僕は皆と仲良しになれたと思った。
ほっとした。
嬉しかった。
そうか、僕は嫌われていたわけじゃ無かったんだ。
僕は変な奴じゃない。僕のせいでパパが死んだ訳じゃ無い。
 でも、でも、何にも知らない蟻がまだたくさんあちこちを歩いてる。そこにも、あそこにも。航太の足元や僕の足元にも列を作って。
航太が「わたる、お前、今日塾あるの?」と横目で聞いてきた。
「…うん、あるよ」
「駅前の塾だろ」
「うん、そう」
「まだ、時間あるだろ?」
「うん、でも、もう帰らないと」
「何で?」
「え?」
「何で帰るの?帰らないだろう、まだ」
 航太が立ち上がって、膝の砂を払い僕を正面から見た。
「皆、まだ帰らないよ、ねぇ、桃ちゃんも陽菜もまだ遊ぶよね?」
 うん。大丈夫。まだ、遊ぼうと桃花ちゃんも陽菜ちゃんも頷いた。
「もっと、凄いやつ見せてあげるよ」と航太が枯葉や小枝を集め出した。小石をいくつか並べて円を作り蟻の行列を囲い込んだ。
 そして、ポケットからライターを取り出したので僕たちはびっくりした。
「わー、すごい航太君。火着けられるの?」桃花ちゃんがびっくりしている。
「大丈夫?怒られない?」と陽菜ちゃんもびっくりしている。
「大丈夫だよ」と航太は鼻をフフンとした。
僕は、見ていた。
ただ、見ていた。
だから、僕は悪くない。
何をしようとしているのか、僕は知らなかった。
僕には分からなった。
僕には何にも分からない。

僕の目の前の卵かけご飯。
しらす君は何にも言わずに僕を見ている。
小さな丸い目の小さな黒い丸が僕を瞬きもせずに見ている。
僕は倒れた椅子を直してからキッチンに行った。
ママにばれたら怒られるけど、キッチンからチャッカマンを持って来た。
僕は安全装置のボタンをギュウっと抑えながら火をつけた。安全装置のボタンは固くて指が痛くなる。
僕だってこのぐらいやった事あるんだから。
僕は一匹のしらす君をつまみ上げて、火をつけた。
「熱つっ」
 人差し指がもろ熱い。チャッカマンの火が大きすぎたみたい。危なかった。
しらす君は少しだけ焦げてテーブルの上に落っこちた。
少し焦げたしらす君はもう何も話さない。
もうバカな事を言わない。
良かった。これでもう安心だ。
焦げたしらす君を眺めながら僕は目の前の卵かけご飯をスプーンですくい口に入れた。
美味しい。
誰にもじゃまはさせない。

 時計を見るともう集合時間十分前だ。
 僕は虫眼鏡とパパの仏壇の下の引き出しからライターを取り出して来てランドセルにしまった。お弁当も。
チャッカマンはキッチンに戻した。
それから卵の殻はゴミ箱に捨てて、ご飯茶碗とスプーンは流しに置いた。
 虫眼鏡とライターを学校に持っていくのは、本当は駄目だけど、黙っていれば問題ない。
 僕の心と身体はほかほかした。
 そう、これで安心だ。
 僕をバカにする奴がいてもこれで大丈夫。
航太にだって好きな事は言わせない。
でも、桃花ちゃんと陽菜ちゃんとにだけは教えてあげてもいいな。
でも、卵かけご飯の食べ方は教えてあげられない。
だってこんなに美味しい卵かけご飯を食べられるのは僕とパパだけなんだから。

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