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空き家に仏壇は必要か?〜コモンとしての位牌管理へ〜#2|Studies

弔い上げの原則に抗する沖縄の死生観

では本題の弔い上げについて。弔い上げという観念はそもそもは仏教のもので、「問上げ」「問い切り」「上げ法要」とも呼ばれる、年忌供養の最終に行われる法要のことである。時期については宗派や地域で異なるが、33年忌が多いようである。

県内では沖縄本島及び周辺離島、それに八重山の一部を中心に受容されている。33年忌をもって供養が終わり(注1)、祖先がカミ化するという考えで、これは柳田國男の持論でもある。位牌の名札が焼かれ、焼いた灰を移した神棚の香炉がその後の礼拝対象となるが、個性は失われて祖霊神として一体化される。

だが実際は、33年忌後も位牌の表側から見えない裏側に名札を移し替えるなど残し続ける例が増えているそうである。

現在趨勢になっているため、これが沖縄での原初形態かと誤解されがちだが、それは違う。かつては死んだその日にカミになるという死生観があったらしく、池間島では葬儀(野辺送り)後はいっさい墓参りなどしなかったという。宮古は沖縄本島とはかなり異なった葬制や祖霊観があり、他にも宮古島市保良では死亡の100日後に最終供養をし、以後は年忌はしなかったことが報告されている。

洗骨(白骨化)によってカミ化するという地域もある。奄美地方の沖永良部島ではウヤフジ祭り(祖先祭)のときに洗骨するのだが、このことが死霊を祖霊に加える仕掛けであり、霊魂を洗浄するという意味もあったと推測されている。

久高島ではハルジューコー(墓の焼香)の際に洗骨が完了したことを祖霊に報告する。久高は位牌や仏壇の受容も遅く、かつては香炉のみ縁側に持ち出し家の外に向かって祖霊への拝みを行っていたらしい。これは赤嶺政信琉大名誉教授の言だが、それ以外にも盆のウークイはなるべく早めに行い、終了後は「祖霊を追い出すため」に家の中を供物のグーサンウージで叩いていた(祓っていた)という。祖先であっても死霊はこわい存在だったと久高の人々は考えていたそうである。

このように、人の死イコール霊化という観念が原初的だったと考えられ、死霊は畏怖されるものであった。その後、儒教にルーツを持つ中国的習俗の影響もあってか、洗骨をカミ化のひとつの区切りとする考え方が広まった。さらに日本から伝来した葬式仏教的な年忌供養の観念によって、今日みられるような33年忌をもって弔い上げとする習俗が定着している。

位牌祭祀をコモン化できないか

ここまでの論点は、本来は門中宗家が行うべき位牌祭祀の厳格な義務を、一般家庭が自主的に模倣した結果、自らの首を絞めるような位牌祭祀の厳格化が生じていないかという点がひとつ、そもそも弔い上げの観念は沖縄にはなく、死者がカミ化する時期はもっと早かったはずだという点がひとつである。

総合すると、外から受容した位牌祭祀のために、使える家屋を長い期間空き家のままにしておくことの外部不経済をなんとかできないかという問いが立ち上がる。

森林や土地や水など万人にとって有用で不可欠なものを「コモンズ」というが、その領域を拡張して「コモン(共有財産)」を確立し、市民参加で管理していこうというポスト資本主義の議論がある。仏壇および位牌をコモン化できないかについて考えてみる。

元来、沖縄の墓は集合墓で、さかのぼれば集落など地域単位での葬地が村はずれの洞穴などに確保されていた(これを村墓という)。つまり墓はもともとコモンだった。これを踏まえれば、仏壇=位牌のコモン化は難しいことではないように思う。

例えば位牌を地域の自治公民館で管理するシステムをつくる。本土でいう納骨堂がモデルになるだろう。公民館は位牌を預かり保管するわけだが、その契約内容や利用基準などを定め、管理料も設定する。管理の一環として預かった位牌の合同祭祀を行ってもよい。

利用者にとっては先述した位牌祭祀を代行してもらえるというメリットを享受できる。先述の位牌禁忌に抵触する事態もあるだろうが、災因を裁定する側のユタにこの合同祭祀をとりしきってもらうことで問題回避が図りうるし、これは霊能者の就労機会を持続可能にするメソッドでもある。祖先を敬う心さえあれば、弔い上げ(もしくはヌジファーでもよい)の期間は短く設定するに越したことはない。

人口減少下では、このシステムを市町村が担うこともあるだろう。現に久米島町は2021年7月に納骨堂を落成しており、骨壺の安置だけでなく、位牌壇や参拝室などを整備し、上で書いたことの先例となっている。久米島の場合は、納骨堂の近くに火葬場と葬祭場の複合施設があり、一体的に管理することでランニングコストの縮減を図っている。もちろん空きストックの有効活用という目的があってのことである。ぜひ他の市町村にも見習ってほしいものだと思う。

<注釈>

  1. 他には「七代経つとカミになる」という言い伝えが、しばしば文章化され広く流布している。


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