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進化と進歩と発展と|進化は万能である|Review

『進化は万能である――人類・テクノロジー・宇宙の未来』
マット・リドレー著、太田直子他訳、早川書房、2016年
レビュー2022.07.14/書籍★★★☆☆

全編読破してないが、もう図書館に返却しなければいけないので、途中まで読んだ内容をレビュー&学び点まとめしま〜す。

本書は進化という概念を自然・社会のあらゆる分野に敷衍して検証し、「やっぱ進化説はすげえぜ」といわんとするものだ。著者が強調するのは、世の中、神のようなデザイナーがいるわけじゃないよ、物事は人々がボトムアップでつくりあげてきたんだよ、という点だ。これを「創発」と呼んで(訳して)おり、本書のあちこちに頻出するキーワードとなっている。

自分の仕事と関係する話が第5章「文化の進化」にあったので、いささか脱線気味に回想しておこう。

産業革命前後のイギリス(著者がイギリス人だから引き合いに出されるのだが)の都市は、法規制や計画なしに創発的に発展してきた。都市機能が生産から消費に移っても、都市はスケーリング則にしたがい有機的に成長し続けている。都市は生物の体に似て、小さくて人口が多いほど(つまり人口密度が高いほど)代謝率がいい。対するブラジリアやキャンベラのようなトップダウンの計画都市をみてごらん。なんと理路整然と味気のないことよ。

日本という国の一地方の都市計画が、本書で扱われる大状況にコミットできはしないだろうけど、この頃つねづね感じるのは、行政がまちをコントロールしようとする営為なんて虚しいねってこと。だって、いくらいい計画を立てても実践されなくちゃ意味がないじゃない。それで実践を阻むのは、既得権益とか法規制とか前例主義とか土地の私有制とか首長交代とかだったりするじゃない。専制的政治体制であれば都市計画も金科玉条になれるけど、これら阻害要因に振り回される労力が無駄に感じられてしかたない。自由や民主主義のための高いコストだと割り切れるほど人間ができていないのだ。それなら、「都市は生き物じゃけん、自然淘汰に任せんさい」でよくないかい。スクラップ&ビルド上等!っていうのが正しい都市の成長理論だと思える。地球環境にはまったくよろしくないけどね。

その他の章もつらつらと。

第2章「道徳の進化」ではコモンローがでてくる。これは自然に発生し揉み上げられて定まった慣習法のことだ。イギリスとその影響を受けた国々でみられる。一方、シビルローは政府が制定するおかたい法律で、大陸側のヨーロッパで生まれた。このボトムアップかトップダウンかの違いが、EUをめぐる確執の原因だと著者は喝破している。シビルローの判事が捜査官なら、コモンローのそれは調停者だという見識も初耳学だったな。

第4章「遺伝子の進化」はいわばジャンクDNAの章だ。単なる偶然の繰り返しで人間のような複雑な生物ができるのかという問いに、「できる」と答え、ゲノムが自然淘汰によって自発的に成立したことの証拠をジャンクDNAに求めている。タマネギのゲノム量はヒトの5倍なんて言われると唖然とするけど。タマネギのほうが人間より失敗を繰り返してるってことなのか?

第6章「経済の進化」では市場が自由であるほど搾取の機会は減るという言葉に引っ掛かった。市場経済のほうが計画経済よりイイねという点はとりあえず現在が証明しているが、ほんとにそうなのか? 文明史から外れた隘路で考えると違う答えになりそうだ。世界規模でみると、途上国の成長率が平均して高いために経済格差は縮小し続けている。これも神の差配ではなく、ノープランの出来事だ。

ご都合主義や論理破綻もよく読めばあるのかもしれないけど、なによりこんな大きな物語というか見取り図というかを描ける構想力がスゴイ!と思う(社会進化論は人類学ではずっと昔に否定された学説だということは黙っておこう)。いやむしろ、大きな物語は多少の我田引水がなければ書けないのだろう。それは悪いことではない。 



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