見出し画像

『申し訳ない』の口癖 〜双極性障害の頭の中 30

みなさん、こんにちは。
双極性障害2型(双極症)のフツーの会社員、パピヨンです。

私の日常には、とにかくたくさんの『申し訳ない』が散りばめられています。

まず、ミスが多いこと。
何かをやっている最中に別のことを思いついてしまうので、私の周囲は“やりっぱなし”で溢れています。

そんな私は、日々息を吸うように

『申し訳ない!!』

を連発しています。
もう、口癖なんです。

あまりにも同じミスを連発するので『すみません』では足りない気がして。

『申し訳ない!!!!』

本当に1日に何度言っているかわかりません。
特に体調が悪い時は、世界中のすべてに迷惑をかけている気がしてしまい、

『あぁ、もう、ほんと申し訳ないです!!私なんか消えればいいです!!』

というレベルになってしまいます。
なにもそこまで悲観しなくても。
とは思うのですが、あまりにも自分が情けなくて。


周囲の人は私が熱中すると色々忘れてしまう性質なのを知っているので、しょっちゅう事前に

「これ、忘れないでね」

と忠告してくれます。

「そうだね!私、忘れそうだよね、気をつける!オッケー!」

と元気に返事をした20秒後にはだいたい忘れています…。


同僚:「さっき言ったじゃ〜ん」

私:「だ、だよね…申し訳ない…」

もう、どうしてなんですかね?
自分でもうんざりするくらいの粗忽者です。

同僚:「そんな気がしたからやっといたよ(笑)」

私:「マジか…本当に申し訳ない…なんか、いつも申し訳ない…」

同僚:「いや、そこまで凹まなくていいから」


本当に運の良いことですが、私は誰かに責められたりする環境ではありません。
幼い頃から“うっかりな子”でしたが、両親からもそれについて厳しく叱責されること無く育ちました。

それでもいつの間にか私の中には深く深く
『申し訳ない』
が染み付いてしまった気がします。

あまりにもフォローしてくれる人たちに恵まれ過ぎたせいでしょうか?
いつも助けてくれる彼らに対しても、日々迷惑をかけてしまうことに果てしなく『申し訳ない』気持ちが溢れて来ます。





ある日のランチのこと。
同僚と会社近くの老舗のお蕎麦屋さんに行きました。
とっても美味しいんです。

厨房の中でお蕎麦を作ってくれているのは、90度くらい腰の曲がった小さなおじいちゃんとおばあちゃんのご夫婦。

美味しくお蕎麦をいただき、蕎麦湯でホッとひと息ついていたら、厨房で洗い物をするおじいちゃんの姿が見えました。

“私は食べるだけ。
おじいちゃんに洗い物をさせている”

なんだか猛烈に『申し訳ない』気持ちが湧いて来てしまい、そのことを同僚につぶやきました。

「なんか、私たち食べてるだけで、あんなおじいちゃんに洗い物させて、申し訳ないよね」

すると同僚は私を諭すようにこう言ったのです。

「おじいちゃんにとっては生き甲斐かも知れないじゃん。ウチらは“ご馳走様でした!”でいいんだよ。おじいちゃんの生き甲斐奪うことになるかもしれないじゃん」

な、なるほど〜!!
そういう考え方もあるのか。
確かにそうだよね。
あの、おじいちゃんとおばあちゃんにとっては毎日お蕎麦を作ることが生き甲斐かも知れない。




3年ほど前、ふとタイムラインに流れて来たツイートが目に止まりました。
精神科医のポエムなツイートは、正直あまり好きでは無いので(ごめんなさい!)普段は見ないのですが、妙に刺さってスクショを撮っていました。

3年前のメンタルドクターSidow先生のツイートより


蕎麦屋の帰り道、同僚に言われた言葉で、ふとこのツイートをスクショしたことを思い出しました。

そうだ、『申し訳ない』かどうかを決めるのは相手の問題だ。
私が勝手にお蕎麦屋のおじいちゃんを“可哀想”と思うのは失礼である。

『申し訳ない』かどうか、私が決めてはいけないのだ。


私:「なんか、凄いね。認知行動療法だね。」

同僚:「なによそれ、難しいこと言わないで。とにかく、またお蕎麦食べに来れば良いんだよ」

健康な人は、いとも簡単に“認知の歪み”を修正してる。
だから健康でいられるんだ。

凄いなぁ〜。
こんな風に考え方を変換出来たらなぁ〜。

今の私には果てしなく難しい。

私のミスも、周囲の人たちはさして気にしていないのかもしれない。
でもやっぱり、申し訳ない…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?