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[小噺]ウクレレと僕 #2 ~再開と悲劇~

#1からの続きですので、一応URLを貼っておきます。
[小噺]ウクレレと僕 #1 ~出会い~|たくあん (note.com)

・再開


そんな僕がなぜ、いまウクレレに目覚めたのか。

暇というものが僕を突き動かしたからだろう。

大学一年の後期が終わったすぐ後に、恨めしそうに立ててあるウクレレを持ち上げた。

それが、2023年の二月のことだった。

もう、半年前になるということが恐ろしい

今ではアルペジオが出来るくらいまで、出来るようになった。

最初は不細工なストロークばかりなのだが、段々と工夫をつけたりが出来るようになっていく。

楽器はどれだけ続けられるかによるのだ、といまは思う。

挫折したあの頃は、逃げてしまったと思うが、それは決して音楽からは逃げてはいなかった。

結局、挫折は何度味わってもいいと思う。

初心さえ揺らがなければ。

大事なものさえ、自分が分かっていれば。



・悲しみのカップラーメン

この事件は、現在進行中のこの物語のなかで

大きな意味合いがある

それは2023年6月の某日。

僕は友達のやっているフェスに参加することになっていた。

色んな曲をその日のために練習していたのだが

いかんせん、曲のコードが覚えられない。

いつも音楽を奏でる時は

スマホの画面を見て、座って演奏する。

ただ、画面を見ないと、もう3コード目すらも弾けない。

暗記は苦手のようだ。

そこで、僕が編み出したのは

そうだ!自分でコード作っちゃえばいいじゃん!ってこと

つまり、オリジナル曲を作るってことだった。

僕は4月の頭に、あるオリジナル曲を作った。

僕の最初の曲と言っていいだろう。

勿論、その曲ならコードは完璧なのだ。

目を瞑ってでも弾けるだろう

だけど、そのフェスでは出来る限り有名な曲をやるように言われていた。

だから、それをやるのは僕の曲が有名にならない限りは出来ないことを悟った。

そして、何をやるかすらも決まらないまま当日を迎えてしまった。


僕を誘ってくれた友達は

僕に2回の場面を用意してくれていた。

一つ目は「オーシャンゼリゼ」

二つ目は自由枠らしい。

この自由枠で、僕はウクレレ史上最悪な三分間を過ごすことになる。

つまり、(三分間=)悲しみのカップラーメンを作ってしまった。

まずは、何をやるか決まらなくて、近くの公園でウクレレをいじっていたときのこと

もう、発表までは一時間半だった

僕は、晴れた日の公園の美しさや、木漏れ日に少し心を奪われて、細野晴臣さんの「僕は一寸」という曲をやることにした。

その曲がウクレレと凄くマッチしていて

「俺ら、これならいけるぞ!」

などと余裕を飛ばしていた。

だけど、僕にとってスマホを見ないと覚えられないコードだった。

スマホを見てやれば出来るか!

などと安直な想いを胸に抱き僕は舞台に上がった。

さて、本番。

僕はスマホを見て、最初の歌い出しをスタートした

だけど、その後だった。

携帯がバグって

画面がスクロールせずフリーズしてしまった。

途中で止めるわけにもいかず、ただ適当なコードで歌ってた。

しかも、歌詞もうろ覚えという終わりの状況

ただやりきるしか道はなかった。

終わったあとは、あまり覚えていない。

ただ、公園の中にウクレレと僕の影があって

悔しさを胸に、次この曲やってやろうとか、

次、あの曲披露したら驚かれるかなと

期待と後悔が合わさったぐちゃぐちゃの心境だった。





・出会い


カップラーメン事件にピックアップすると、苦しくなるが

その日自体はとても有意義なものだった

「オーシャンゼリゼ」を皆で一緒にセッションした時の、あのグループ感が忘れられない。

音楽のことを語り合ったり

色んな人と出会ったりした。

楽器一本でこんなにも色んな人に会えて

楽器一本でこんなにも色んなことが体験できるんだなと思った瞬間でもあった。

いつか、僕を受け入れてくれたその場所には恩返ししたいと思っている。

勿論、楽器で。

その時は、最高のカップラーメンが作れるように。


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