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13, 登山は人生の縮図

今回の富士登山で人生1か2番の恐怖と安堵を経験することになったが、身から出た錆で反省しなければならない。あと、子供から教えられること、助け合える有難さを経験出来て日常生活では味わえない貴重な体験をすることが出来た。当初1泊2日ののんびり登山の予定が思いもよらず2泊3日のサバイバル登山になってしまったが、この3日間で体験し身をもって学んだことがこの後の人生に役立つことを願い、人生の荒波を子供たちがたくましく乗り切ってくれることを願って。あと、至らない自分への反省とお世話になった

    • 12, 命の大切さと親の責任

      今回の登山の事前に登山道具をそろえたり、実際に山に登って練習を積んだりしたが、富士山は過酷さがけた違いだった。準備と心構えが、まったく足りていなかったといわざるを得ない。反省すべき点は多々あるので、今後の人生に活かしていきたい。不安にさせた家族や助けてくれた人たちにお詫びと感謝しかありません。子供たちから教えられることもたくさんありましたし、子供たちも貴重な経験の中でいろいろ感じ学んでくれたと思います。あの時もし誰も助けてくれなかったらどうなっていたのだろうか?よくよく考える

      • 11, 救世主

        そんな暗闇で不安ながらも気丈にふるまう長女を見てここでも頭の下がる思いであった。 子供を助けなければならない大人が逆に子供に助けられる場面がこの富士登山では何度もあった。そんな中、後方にいる妻から微弱な電波を拾って電話が入った。なんと!?途中で出会った人たちに助けてもらって私と長女の後方すぐ近くまで来ているとの事。 少しルートを引き返すとヘッドライトをつけた7~8人の集団が見えた。その中に妻と下の子もいて私たち家族は無事再開することが出来た。長女は安堵からか泣き出してしまい、

        • 10,行きはよいよい帰りは怖い?

          8合目での急遽予定変更からなんとか山頂までたどり着き、すこし登頂の喜びを味わったあとに、帰りのバスの時間も考えて?下山道に向かった。そのときすでに午後3時前。 下山時間を甘く見ていた我々は気づいていなかったが、今考えるとこの時点でアウトだった。タイムオーバー、下山前に漆黒の闇に覆われること確定していた。二日かけて登った山を2時間で降りられるわけがない!冷静に考えればわかることも当時の判断力は限りなくゼロに近かったと言わざるを得ない。そういえば山頂でベテランらしき人が『下りが大

        13, 登山は人生の縮図

          9,思いもよらず、頂上に到着

          8合目からも過酷な登りは続いた。一部、整備されたような場所もあったがおおむね岩場や砂で容赦なく体力や気力を奪っていった。時々、カーブのあたりで座って休んだり、飴玉で糖分をとって体にチャージをしていった。気を付けたのはとにかく呼吸を深くすること。 深くゆっくり吸って、しっかり吐き切る。これのおかげか高山病にかかることはなかった。 9合目当たりで欧米系と思われる外国人のお兄さんたちが、我々家族の写真を撮ってくれた。外国人との接触は普段ありえないが、その時は登山に必死で、英語で何か

          9,思いもよらず、頂上に到着

          8,下山の判断を誤ったポイント

          今回の富士登山の当初予定は8合目当たりで下山道に入り下山する。山頂は目指さない。』というものであった。やっとの思いでその8合目あたりに到達した瞬間に思いもよらない言葉が私を襲った。『山頂まで行ってみようよ!』と。。。『なにい!?そんな無茶な!』と思った。疲労困憊の私と下の娘は下山する気満々でいたが、妻と長女からのこの悪魔のささやきにあらがうことができず、ここから無謀な山頂アタックが始まった。体力・気力ともに余裕のない私は家族より少し先行して、山頂で皆を待つ作戦にそこで切り替え

          8,下山の判断を誤ったポイント

          7,長く険しい岩場に心が折れる?

          朝食のあと、山小屋に取り残されていた私たちもさすがに出発しないとマズイ?という空気に押されて宿を後にした。山小屋付近の斜面は大きな岩場の連続であった。斜面が急で素人の私には『ロッククライミングをしているのでは?』という感覚に襲われるほど、一つ一つの岩場が私の行く手を大きく阻んでいた。そんな中、小さな子供を激励しながら登る父子ずれと遭遇した。お父さんは、小学校低学年くらいと思われる男の子に『がんばれ!あきらめては駄目だ!男だろ!』とスポ根漫画バリの厳しい言葉を浴びせかけていた。

          7,長く険しい岩場に心が折れる?

          6,山小屋は狭いが快適

          やっとの思いで到着した山小屋で小屋のお兄さんたちが迎えてくれた。部屋は家族4人のため個室を予約していた。部屋は上と下の2段ベッドのような構造で子供たちが上で大人はしたに寝た。何とか座るぐらいの高さは確保されていたが、極度の疲労からひたすら横になっていた。夜中に山頂に向けて出発するため早く就寝する人も多いので、消灯前でも静かにするのがマナーのようだった。酸素が薄いため高山病にならないか?夜眠れるか?高所恐怖症なので目がさえてしまわないか?など色々心配だったが、体の疲労が勝り難な

          6,山小屋は狭いが快適

          5,岩場に苦戦

          6合目からはそれまでとは打って変わって急な斜面の連続。斜面に沿ってジグザグに進むもそれが永遠に続くかのような錯覚を起こすほどその道は果てしなく続いた。 子供たちはトイレに行きたくなるもしばらくトイレはない。落石防止の壁に隠れて用を足すしかなかった。そんな精神状態のなか、唯一の救いは遠くにみえるが今にも手の届きそうな場所にもみえる山小屋たちだった。7合目から8合目にかけては山小屋が多数存在しており、私たち家族もその中の1つである鎌岩館に宿泊予約をしている。 山小屋群が見えるよう

          5,岩場に苦戦

          4,初日午前は強い雨、でも、、、

          行程初日は朝4時起床で五時過ぎに車で出発した。妻の運転で高速道路は終始スムーズに進み2時間弱で目的地の富士山麓の駐車場に到着した。その頃には困ったことにかなり強い雨が降っていた。ただ予報では午後は止むとのことだったので、少し駐車場付近で時間をつぶしてから5合目までバスで移動することにした。 五合目のレストランで昼食を食べていると天気がみるみる回復し(近年稀に見る好天!?)運よく絶好の登山日和となった。 天気の問題で登頂を断念するケースが多いと聞いていたので、自分たちはなんて運

          4,初日午前は強い雨、でも、、、

          3,人生でやり残したことは?

          人生の折り返し地点を過ぎて、体力も以前のようには無く、定期健康診断のたびに悪化していく数値たち。健康にも徐々に自信がなくなってくると、人生の残り時間も意識するようになってきた。今できることが明日もできるという保証はどこにもない。頭ではわかっているが、心の底からそう思うことは実はなかなか難しい。。。そんなことを考えると日本人なら一度は登ってみたい富士山に登るしかないとも思ってしまうのは私だけではないはずだ。

          3,人生でやり残したことは?

          2,登山をはじめたきっかけ

          私自身、もともと登山に全く興味はなかった。『地味だし、何のメリットもなく、商品など何かを貰えるわけでもない。勝ち負けあるわけでもなく、危険を冒してなんの意味がある?』と言ってはその都度家族団らんの空気を凍らせて冷ややかな目線と多大なる顰蹙を買っていた。 ただそんな私でも妻が元々登山好きで『行きたい』と一言言われれば行くしかなかった。でも、あら不思議、近場の低山に登ると程よい疲労と、恐怖を克服することに対する達成感みたいなものが感じられた。『意外と登山、良いかもしれない!』と思

          2,登山をはじめたきっかけ

          なんとなく富士登山

          1, なんとなく富士登山 家族四人、今年の夏休みの予定は富士登山となった。 関東在住なのだが、去年あたりからほぼ週末は少なくとも隔週で宝登山や筑波山など近場で初心者向けの山に登るようになり、そこでの勢いが余って『どうせなら富士山に登りたいね』という安易な流れに多少の同調圧力も程よくかかりめでたく(!?)決定。 さすがに日帰り弾丸登山は、五十路近くの私にとって年齢、体力的にも非現実的で小学生の子供二人ではありえないので、山小屋泊での一泊二日の日程でアタックすることに。正直言うと

          なんとなく富士登山

          『大地黄金』という禅語があるそうで、今いる場所で精いっぱいがんばれば輝けるという意味だそうです。辛い環境にいる人は私だけではないと思いますが、もう少しだけ頑張ってみようかな?と思える言葉を探していて見つけた言葉です。でも無理は禁物ですね。。。

          『大地黄金』という禅語があるそうで、今いる場所で精いっぱいがんばれば輝けるという意味だそうです。辛い環境にいる人は私だけではないと思いますが、もう少しだけ頑張ってみようかな?と思える言葉を探していて見つけた言葉です。でも無理は禁物ですね。。。

          所作を美しくするって難しそう。でも、いただきますやごちそうさまと手を合わせる『一拝』ならできそうな気がする。思い返してみても、大人になって食事の前後に手を合わせた記憶がない。。。

          所作を美しくするって難しそう。でも、いただきますやごちそうさまと手を合わせる『一拝』ならできそうな気がする。思い返してみても、大人になって食事の前後に手を合わせた記憶がない。。。

          『所作を美しく』することが、悩みから抜け出す方法、って意外ですね。内面が所作に現れるのはわかるけど、逆に所作が内面にも影響することには築かなかった!!!美しさよりも合理性を優先しでしまう今日この頃です???

          『所作を美しく』することが、悩みから抜け出す方法、って意外ですね。内面が所作に現れるのはわかるけど、逆に所作が内面にも影響することには築かなかった!!!美しさよりも合理性を優先しでしまう今日この頃です???