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「浅草キッド」を観た(映画感想)

サンクチュアリを見るために晴れてネトフリを再登録して、そしてあのドロドロな大相撲の世界にドップリと浸かって、そりゃもう面白くて面白くて。「じゃあ次何見る?」って、そういやってんでこの名作を観ましたね。

もう、最高。。
ストーリーのわかりやすさやグッとツボを押さえた演出は、さすがの劇団ひとりさん。

まだ学生運動の記憶が色濃く残る、70年代の混迷の時代。エンタメとしてのテレビ放送が注目がされ始めた頃。大学を中退してフラフラしていた北野武は、浅草のストリップ古屋の芸人、深見千三郎の芸に惚れ込んで弟子入りする。

大学を辞めて、フランス座を辞めて、もう後がない。そう語る武は、しかしフランス座で観た深見の芸は「ホンモノ」だと確信し、それをなんとかモノにすればこの世界で天下を取れるのではないか、という希望があったのだろう。また、その芸の根底にあるべき「芸人の心意気」や哲学、勝負勘も含めて深見さんに学んだのだと思う。

しかしながらフランス座の座付き芸人としての深見さんのキャリアは、「テレビ時代」の到来による時代の変化に抗えず、次第に苦しくなり、やがて廃業。芸人さんの持つ矜持や心意気なんてモノも過去のものとなる。

深見は廃業するが、その「芸人DNA」は確実に武に受け継がれ、その漫才は日本中を爆笑の渦に包む。深見が武に繋いだ芸は、紛れもない「ホンモノ」であったと証明したのだ。

世の中に日の目を見ないホンモノってのは、実際に沢山存在する。一見、時代の変化や流れによりそういうものは注目されたり廃れたりと変化していくように見えるが、そうではない。時代は変われども、その根幹の大事な部分は、その凄みを感じた者同士によりのみ、脈々と受け継がれてゆく。

客席にいる人々はそんな事はつゆ知らず、時代時代でその芸に圧倒され、「時代は変わった!」と感じるのかも。

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