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2000年代、M-1以降のお笑いと、政治のシンクロニシティ

今の日本、コロナや増税や様々な問題はあるものの大混乱することなく、何となく秩序が保たれてて、程よく体をなしている。この先10数年後もこんな感じでブーブー言いながらも、ツッコミどころ満載の国のもとで、暮らしているような気もする。

そういう意味では、いろんな出来事の都度、国政の「壮大なボケ」に対して国民が「なんでやねん!!」とツッコんで、それで完結(成立?!)している「お笑い文化」的な国政と国民の関係性は、2000年以降ある意味、構造としてスタンダードになっているんじゃないかしら。(小泉内閣あたりからか?)国政の「ボケ的方針決定」をメディアが喧騒して、国民が「おい!!どないなっとんねん!」って、突っ込む。(もしくは、8時だよ!全員集合の観覧小学生さながら「志村うしろー!!」って、叫ぶ。)のセットで、なんか盛り上がった気になって、「はい、次!」ってなる、みたいな。解決など、してない。メディアの喧騒による「ピーク感」がいい意味でエンタメ的にガス抜き効果を発揮しているだけ。

さながら最近は、ダチョウ倶楽部さん的な、国民に熱々のおでんを頬張らせたり、熱湯風呂に突き落としたりな、「体を張ったリアクション」を求めてるモードなのかも。…って、なんでやねん!!

そんなわけで私が夢想するのは、そろそろ「国民が壮大にボケて、国政がツッコむ」笑い飯的なお笑い構造改革もあっていいのでは?というとこ。もしくは、「ボケ」「ツッコみ」という2極の尺度では判断しかねる異物が介在してきて、掻き回す的な。(くっきーや、ランジャタイ的な。)今や浜ちゃんがイジられるような世の中。そんな展開、あながち、あり得ない話ではないかも。

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