見出し画像

偶然が許せない

小説を読んでいて、「偶然」が気になる方だと思います。登場人物同士が街で何度も再会したり、事件の現場にたまたま刑事がいたりすると、「そんな偶然あるんかいな」と考えてしまうことが多いです。

もちろん、小説はフィクションであり、現実ではありません。ミステリーでは現実には起きない事件が発生し、死神や宇宙人など非現実的なことに遭遇することがあります。完全に現実に即したら、それはフィクションはなくノンフィクションです。
ドラマを作るために偶然の出来事が多発すると興醒めにしてしまいがちです。
偶然を必然に変える理由がないといけないと思ってしまいます。例えば、街で再会するなら、行きつけのバーが同じだとか。

一度の偶然は問題ありません。あるふたりが偶然出会うのは、現実の世界でも起こります。その場面だけを切り抜けば運命的に見えるかもしれませんが、日々の暮らしは偶然の連続でもあります。
コンビニでは店員の方に「偶然」出会うし、電車に乗れば周りは偶然集まった知らない人たちばかりです。
一度の出会いは偶然じゃないですが、理由がないのに二度出会ったら、それは偶然だと思います。

拙作「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」では主人公が余命短いヒロインに出会います。最初の出会いは偶然ですが、その後、ふたりが街で偶然出会うことはありません。理由があってどちらが呼び出すようにしています。
主人公は死神に余命を宣告されますが、それも偶然ではありません。

最初に書いたように、多分、僕は「偶然」を気にする方なんだと思います。「偶然がちょっと多いんじゃない」という小説の感想を読んでも、多くの人は気にしていないことが多いです。小説の内容が面白ければ、偶然がいくつも起きようとも読者は問題にしないようです。
元々フィクションなんだから、偶然は起きて当たり前だと考える人が多いのかな。
偶然が問題なのではなく、「不自然」なのが問題なのかもしれません。物語を進めるためだけに突然起きるイベントや、作者が言わせたくて予め用意した台詞に読者は敏感です。
特に台詞は、映画や劇と違って実際の音声がないので、不自然さが際立ちます。
何度偶然が起きても物語に溶け込んでいて違和感がなければ、読者は不審に思わないようです。

その辺りの匙加減が今ひとつ分からず、ひとつでも偶然の要素を減らすために、日々物語を考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?