カミツレと裏腹

私の視界ををつらつらと言語化するだけの世界ですが、たまに蜂蜜も添えますね。 私の喜怒哀…

カミツレと裏腹

私の視界ををつらつらと言語化するだけの世界ですが、たまに蜂蜜も添えますね。 私の喜怒哀楽がせめてだれかの閃光になりますように。

最近の記事

遮断機の中で

「なんだ、わたしってこんなに生きたかったのか。 それならきっとこの世界も良いものなのかもしれない。」 日本以上に治安の良い国などあるのだろうか。 もちろん犯罪は横行しているし命を奪う事件だって連日続く。 しかし、夜道に1人で歩いても高い確率で生還すること、財布を2度落として2度とも無傷で帰ってきたこと。 これらを考えると生命活動を続ける上で日本はうってつけではないのだろうか。 それでもたまに生きた心地がしない時がある。 それは危機感を覚えたり事故にあいそうになったとかそう

    • 「語源」という言葉の美しさたるや

      この世界には素晴らしく多くの言葉があるが、その数と同じくらいの語源が存在する。 いろいろな言葉の語源を調べるのはとても興味深く、語学の奥深さに触れることができる。 しかし「語源」という言葉自体にも注目してもらいたい。 「言語の源(みなもと)」ですよ、みなもと! そもそも「源」という漢字の語源 「声符は原(げん)。原の古文の字形はに作り、厂(かん)(崖)から泉が垂水として流れ出る形で、水源を示し、源の初文。」 ※コトバンクより抜粋 すなわち水源なのだ。水がある場所から

      • 電子マネーと募金箱

        「気まぐれの良心の矛先を一つ失ってしまったような気がする」 いつの時代も娯楽が複雑化されていく一方で、生活に必要なものは最適化されていく。 電子マネーもその一つだ。 紀元前から伝わる貨幣の交換の形式が変わった境目を生きているのは、よく考えたらすごいことではないだろうか。 しかし私は脳が若干古風なので、最適化を憂いている節がある。 最適解が最初から示されてる道で寄り道ができないのが味気ないと思ってしまう。 noteで日々思ったことをつらつら書くことが楽しい私の性格上それが

        • 好きの点滴は満たされない

          好きな物に囲まれても満たされないのは 生きるための点滴になってしまっているか 辛いことが続いた時、私は大好きな友達とご飯に行ったり甘いものを食べる。叫んでしまいたいくらい嫌なことがあったら友達にすぐさまLINEして吐き出させてもらう。 これは本当に幸せなことだ。 しかし不思議なのが、こんなにも好きに囲まれた幸せの詰め合わせなのに、一向に満たされない。 これはあまりにも贅沢が過ぎるのではないだろうか。 そんな自己嫌悪に振り回されていたが、最近ふと思った。 これは今を乗り越

          この世の理は数学かもしれない

          今朝の情緒は大荒れだった。 そんな時は色々なものに噛みつきたくなってしまう。 今朝も「なんで人を癒すカモミールの花言葉が「逆境に耐える」なんだよ煽ってんのか?」とイライラしながらカモミールティーを啜った。 そもそも花言葉も紅茶という加工も人間のエゴである。勝手に干されて気持ちを代弁させられているのに悪態までつかれなくてはならないのか。1番の被害者はカラカラのカモミールである。 しかしその直後、外に干してあった雑巾を取り込んだらなんと幼虫がくっついていた。 「ヒェッ!」と悲

          この世の理は数学かもしれない

          溺れる前に

          どうしようもない辛さに直面した時、もどかしさに溺れそうになった時 たまにあえて沈んだままでいようとする 現実を見たくないくらい後悔した時とか、特に のしかかる水の重さが心地よくて、音も聞き取れないくらい曇って 眩しくない光が降り注ぐ海底に 仰向けになりながら横たわりたい 我先にと海面へ急ぐ泡を無心で見つめて 整列して泳ぐ魚をただただ目で追って 海底の凹凸が背中に馴染んできたら もうそこから動きたくない 冷たく重い海底だからこそ 後ろめたさすら同化してしまうから ずっと

          自論・+-の法則

          私の仲の良い友達同士がなぜか不仲なことが多い。 これはとても不思議なことである。 アニメでは転校してきた主人公が隣の席の子と仲良くなったのを皮切りにその友達、その友達と打ち解けていくはずなのに。話が違うじゃないか。 これに気づいたのは高校生の頃。私の仲の良い友達同士の修羅場の板挟みになった。両方の言い分を個別に聞き、なだめ、解決の糸口を探す。これが何度もあったのだ。もちろん毎回同じ人ではない。 そしてあることに気づいた 私の友達は皆気が強い 薄々感じているかもしれないが

          はじめに

          「記憶をほとんどその日に置いてくる私ですが、出会ったときの季節、景色を今でも思い出せます。それは私の見ている景色をいつもより色とりどりにしてくれる人でした」 これはとある女性タレントの結婚報告でのコメント。この文章を目にした時、私は春風の突風に吹かれた。 その日は夏の暑い日、閉じた電車内で通過電車を待っていた。それでも確かに私の髪は桃色を帯びた突風に激しく煽られ、ひらけた視界には青空と緑の小高い丘の間に模範的な木が一本立っていた。 このように私は惹き込まれる文章の一節や