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どんくさい僕の道3

前回の続き。
小学校に入学するとまず1つの場所にじっとしていなきゃならない時間が長く感じました。今までは周りに合わせることが出来なくても目をつぶって貰っていた部分が目をつぶって貰えなくなるということに差を大きく感じていました。

まず苦戦したのは板書でした。極端に書き写すのが遅く書き終わる前に消されてしまい置いていかれてしまうのでした。そんなことを繰り返してるうちに学習することに意欲を無くして諦めて寝てしまうことがこの先ずっと続きました。

もうひとつ苦戦したのは隣とのやり取りや班行動のような協調性を伴う活動や日常でした。常に『どんくさい』くて落ち着かない自分は隣りの席の人からしても班にしてもクラスにしても面倒で足でまといな存在でしかなかったのです。

班替えするとハズレ扱いされ隣りの席の人からも机を離され距離をとられていました。そのため隣と話し合ってや班で話し合ってなどの些細な活動が輪に入れて貰えなかったり、入れて貰えてない状態で発表者にされて慌ててしまう事はしょっちゅうありました。

今思えば班競争や班生活など団体で評価される場面も多く〇〇さんが出来てなかったので達成できませんでしたなどの報告に自分の名前が出ることがほとんどでした。

競争や目標に対してのハードル高く居心地はいつもいいものではありませんでした。

それがいじめに繋がり、ひとりでいることが多くなった原因の1つだと思います。

きっと今の子どもたちの中にも同じ悩みを抱えている子がいると思うと胸が苦しい思いです。比較されて評価されるということはそれほど辛い一面があるのです。学校教育にある協調性の強制はそれほどリスクがあるのです。

評価という価値観を見つめ直す機会を傍観して見過ごしてしまいがちだと思います。大人の1日は子どもにとっての1週間の価値がそこにあると思ってます。つまり大人にとっての1年は子どもにとっての10年の価値があるのです。

話しは飛躍しましたが、そんな中どう過ごしていたのかは次に書きたいと思います。

今回も長く拙い文章を拝見して頂きありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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