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よちよちある記#384『蜜蜂と遠雷 下』

読み終わってから
だいぶ経っちゃったな…

蜜蜂と遠雷(下) 恩田陸

上巻の読み始めから
ぐいぐいと引き込まれた世界観
下巻になってもそれは変わらず
美しい言葉で紡ぎ出される世界

芸術家と言われる人々すべてが
こんな風に世界を
捉えているかどうかは
わからないけれど
自分のような凡人にも
どうにか理解できそうな
ギリギリのむずかしさ
抽象的な言葉で表現される世界

どんどんと
読み進めているくせに
ふと立ち止まって
何度も噛み締めながら
読み直してみて
思わずため息がもれたり
唸ってみたり

ーーーここから引用ーーー

芸術に点数がつけられるか?そう聞かれれば、誰だって「優劣などつけられない」と答えるだろう。それはむろん、誰でも頭では分かっている。
しかし、心では優劣がつけられたところを見たいのだ。選びぬかれたもの、勝ち残ったもの、ほんの一握りの人間にだけ許されたギフトを目にしたい。そこに労力がかけられればかけられるほど、歓喜と涙はより感動的で興奮させられるものになる。
何より、人はそこに至る過程を、人々のドラマを見たいのだ。頂点を極めスポットライトを浴びる人を見たいのと同時に、スポットライトを浴びることなく消えていった人たちの涙を見たいのだ。

ーーーーー

農家や園芸家など、自然科学に従事する人たち、特に植物を相手にしている人々に共通するのは気の遠くなるほどの辛抱強さである。自然界が相手では、人間ができることなどたいしたことではない。努力してもどうにもならないことはあまりにも多く、同時に日々手を動かしてやらなければならないことは大量にある。見返りの保証されないことにコツコツと手間暇を積み上げる。そんな時間を過ごすうちに、彼らはある種の諦観を身に付け、それぞれが独特の運命論めいたものを持つようになる。

ーーーーー

たゆたう時の流れの底に沈んでいるさみしさ、普段は感じないふりをしている、感じる暇もない日常生活の裏にぴったりと張り付いているさみしさ。たとえ誰もが羨む幸福の絶頂にあっても、満たされた人生であったとしても、すべての幸福はやはり人という生き物のさみしさをいつも後ろに背負っている。
それについて深く考えてはいけない、一度気付いてしまったら打ちのめされてしまう、おのれの弱い部分に気付いてしまう。そう思って避けてきたはずの、根源的な「さみしさ」を。
だからこそ、あたしたちは歌わずにはいられないーーこのさみしさを、刹那を、生き物たちの長い長い歳月から見れば一瞬にしか思えぬ人生の幸福と不幸を。
数百年、あるいは数千年昔の人々も、きっと同じことを感じていたと信じて。
数百年、あるいは数千年先の人々も、きっと同じことを感じていると信じて。

ーーー引用おわりーーー

壮大な作品の読後感に浸りきる
少し力が入ってた体を動かして
リフレッシュする
飲み物を飲んで喉を潤す

編集者さんの解説によれば
(解説ではなく思い出だと断りあり)
大変な”産みの苦しみ“があったとのこと
読者は一氣に読んでるけど
作者はずっとずっと苦労しながら
もがいてもがいて
同じ人間なんだな…って思える

詳しくは
どうぞお手にとって
ご覧くださいませ

最近活字に触れてないなぁ
読書してないなぁ
なんていう人には
今月末のG.W.にオススメしますよ

 
晴れて良いお天氣
ポカポカと暑くなるみたい
あちこち人が大勢出てきて
お花見でにぎわうかな?

今日もいい1日✨

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