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家族の裏に歴史あり、笑いと涙と、この100年くらいのファッション市場を振り返る『私にぴったりの世界』

  服ってどこで買いますか?仕立て屋さんなんて言葉はもう死語なんだろうか。普通は、服って買うものだ。
 どっこい、この本の語り手のはそうではない、服って言うのは仕入れて、整理し、売り捌くものである。それもそのはず、語り手の主人公は服屋を営む一家の一員として生を受ける。
 自分の家族を省みれば、一方に時代の変化に貪欲に食らいつき、栄華を求める一家がいる。その反対に時代の影に向き合い、しっとりと佇むような一家がある。適応を求めて社会的、経済的な成功をひたすら追求するのか。それとも、身を潜めて、静かに、波風が立たせずに淡々と生きるのか。
 両者の血を受け継ぐ語り手は、どちらが自分にとっていい世界なのかと逡巡しながら、ダイナミックな世界の変化に奔走される一家の歴史を振り返っていく。

 コクのある文章、ゆったりしたリズムが心地良い。作者のナタリー・スコヴロネクはベルギーの移住ユダヤ人第四世代の作家だ。
 なぜあえてベルギー人作家と書かずに、ユダヤ人第四世代の作家と紹介するのかと言うと、出版社の著者紹介にそう出ているから。と、いうのもあるが、それ以上に、移住したユダヤ人という出自が、この本において重要な意味があるからだ。
 ユダヤ系であることは、一家一族が、皆なにがしかの職業に従事してて、どこに移動してもそれを生活の糧にするというアイデンティティがあるという、語りからこの本は始まる。
 先祖代々辿っても、日本列島から出たことがない、日本人が読むと想像に難しい、ユダヤ人一家の身の上が語られる。
 移動に次ぐ移動、移民することで失われれる「自分たちらしさ」。常に揺さぶられるアイデンティティのへの葛藤は体感としては理解しにくいが、それでも真摯に向き合い、生きていく人々が鮮明に語られる。

 曾祖母の時代には古着をばらして、服を仕立てていた。世代が変われば、商品として職人から仕入れ販売し、自分たちの店で売る。その後は大量生産された規格品を買いつける。最後は規格品の生産体制そのものが、巨大なチェーン店によって運営されて、個人経営の小さな店が駆逐されていく。
 幼い頃から内向的で、両親に比べて商才はないと思いつつも、服を売るという商人一家に生まれた語り手は、それでも立派な商人として成長していく。
 商才に恵まれた両親や、祖父母たちがどうやって、商品を仕入れるか、売場作り、お役所仕事への対策などのエピソードが生き生きと語られる。
 買い付けは博打打ち、売れれば得意になるし、在庫を抱えればあっさりと負けを認める祖母、母の肝っ玉。実務が得意で、時代に先駆けておしゃれな店舗の内装や、会計システムを取り入れる父。
 流行よりも実用性を重視し、慎重な語り手と勝負師の母との名コンビぶり、お店で腕を振るう店員たち。
 一家の歴史と、服飾市場のダイナミックな歴史が織り交ぜられて、描かれる。最初はボロ布を繕うという曾祖母のどこかおとぎ話のような描写から、気がつくと語り手のファストファッションの時代へと移動している。

 ペースは淡々としており、写実的な回想である。しかし、ときおり挟まれる服飾市場の変化にはっとさせられる。特に印象に残ったのは2013年にテレビでも放映された、バングラデシュのラナプラザの事件である。
 描写の仕方が一瞬、ホロコーストのことかと思っていたら、読みればなんと現在じゃないかと、ひやりとした。それまで過去の話だと、他人事だったのに、急に自分のいる世界に話が繋がってしまう。
 それまで、エキゾチックなユダヤ人一家の回想だと思っていたのに、急に自分の身近な話題になる。だからと言って、この作品ではお説教的な話など一切ない。

 むしろ、感傷を削いでジャーナリズムに近い雰囲気が、読後に鮮やかにこの一家の物語を印象づける。栄華を極めた両親の時代から、作家になる語り手の時代への変化。
 第二次世界大戦後にやってきた、好景気の時代のあと、グローバル化が可能にした大量生産とは一体何なのかが身をもって語られる。遠い世界だと思っていたのに、実は見知った距離に話が落ち着くラストに唸ってしまう。

 グローバル化で、世界中が似たような景色になる驚異的な同化現象の真っ只中、アイデンティティを何に、どう求めるか不安定な世になって久しい。日本にいても、海外にいても、自分たちより上の世代が体験した強烈なまでの国、地域の差異はなくなってきている。
 そんな中、経済的な不安からナショナリズムに傾倒し、日本人であることに固執している今の社会で読むと、もっと外に目を向けなきゃいけないなと思う。
 アイデンティティとは、どこまで何をとは定義しにくい。主観的であると同時に、他者から見られる行為でもある。
 この本の中でも、親戚の中にはユダヤ人であることよりも、移住先の国に同化することに価値を見出す人や、イスラエルに行きユダヤ人であることに希望を託す人々が出てくる。
 そんな極端な事しなくてもと驚く作者のように、「らしさ」というものを根付いた土地で折り合いつけながら生きていく人もいるのだろう。アイデンティティというのは国や言葉や、帰属集団など複数の流動的なもので構成される、構成要素自体も流動的なのかもしれない。
 そういう中で、変化を受け入れて、柔軟にアイデンティティを形成できる生き方が出来るこの著者は逞しいなと思った。マイナーな外国文学と思わないでぜひ手に取って欲しい。ファッション史としてもお薦めです。

 

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