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歴史的視点で考察する宗教が生まれてくる背景『多神教と一神教』


宗教を身近に感じるために古代史を巡る名著『多神教と一神教』

 「あなたの信仰する宗教は?」って聞かれて即座に答えられない人生がはや何年だろうか。葬儀のときだけ仏教徒の振りをするっていうのが一番実態に近い気がする。
 でも、これって自分が特例だとは思わない。むしろ、現代に生きていると特定の信仰に帰依するって感覚を持つのは難しい。いわんや一神教をや。

 そんな現代生活においてどこか隔たりを感じる宗教の中で、特に親しみがわきにくい一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)がどう生まれたのかを描いた新書『多神教と一神教』は読者を宗教の生まれる世界へ近づけてくれる。
 歴史的な視点からどうやって一神教が生み出され、社会に受容されていったかを語ってくれる。かなり面白かった。教科書的に事実を飲み込むのではなく、物事の背景を当時の遺跡や文字にから辿って、一枚の絵に至るやり方でストンと中身が入ってくる。
 現代にも通じる宗教の問題、それなのにいまいち興味もわかないし、理解できない。だからちょっと齧ってみたいという入門書の一つとしておすすめしたい。

一神教の前に、多神教と統一国家

一神教、ただ一つの神のみを拠り所とする宗教だ。人類5000年の文明から照らし合わせれば圧倒的な例外的存在、それがたった1000年の間に通例になったという凄さ。
 なぜ一神教がここまでメジャーになったのか?という謎は、本書では古代の信仰をたどるところから始まる。

 古来から人は人智の及ばぬ現象を、未知なる遥かな遠い世界を神という概念で説明しようとした。だから当然、古代の世界は有象無象の神々がうごめいていた。
 八百万の神がデフォルトだったのだ。メソポタミアでもエジプトでも、巨大な王国が生まれる前は神々は数千人もいた。
 神々は天から海、地震に火山などの現象を表すものから、自分たちの集落を守る先祖の祖霊から発展した神もいた。日本でもちょっと歩けば道祖神や辻神の碑があったり、神社があって、その向かい側にお寺があるのと同じ感覚だ。
 しかし、都市国家が巨大な統一国家になると、そんな地方の神々まで全部は祭れない。国家事業である神事を執り行うにしても、似たような神はまとめてしまいたくなるのが人情だ。神々は集合し、やがて各神話に登場する数十体へと落ち着いていく。
 一神教へ行く前に、多神教の中で神々の総選挙が行われて、代表メンバーが決まるのだ。これが一神教への道の第一歩である。

全ての虐げられし人々のための宗教、一神教

 メソポタミアやエジプトの統一国家で神々の総選挙が行われ、いつものメンバーが固まったあとで、ローマ帝国の時代がやってくる。ローマ帝国は、ローマ人だけで構成されていない。多数の他民族を束ねた国家だ。
 そうなれば、当然誰も彼もが幸せとはいかない。帝国が広がるにつれ、長く繁栄するにつれ、社会は綻び荒れていく。
 帝国の領地にはユダヤの人々も含まれていた。半遊牧民であった彼らは巨大な国が生まれては滅びる土地をさまよい歩いてきた。その中で彼が特異だったのは、自らのアイデンティティを忘れなかったことにある。
 バビロン捕囚や、出エジプトなど苦難の道を歩む少数派である自分たちは何者なのかを考え、彼らはたった一つの神こそが自分たちを救済するという教えで、自らのアイデンティティを固めた。他の民族と交わり土地に染まっていく大半の他民族からすれば異様に見えたことであろう。
 ユダヤ教はユダヤ人とはいかなる事であることを説明する宗教であった。そこから、抜け出たのがキリスト教である。

 ゴルゴダの丘で処刑されたナザレのイエスを救世主とするキリスト教は、救済されるのは全人類であり、洗礼さえすれば入門出来る汎用性の高い宗教だった。荒れていく世の中に対して不安を感じる人々の精神的な受け皿になったのである。

一神教の生みの親はアルファベット?

 もう一つ、この本の中で興味深い指摘があるのが文字である。アルファベットが一神教の伝搬に大きく寄与したのだ。

 メソポタミアで使われた楔形文字はなんと2千以上もの種類があり、読み書き出来るのは一部の書紀だけだった。エジプトのヒエログリフも象形文字とはいえ数が多く、庶民は読むことが出来ない。
 そのうちエジプトやメソポタミアという大国に挟まれ、情勢が不安な土地で文字が整理整頓されていく。簡略化され、数が限られてやがて30字程度に落ち着く。アルファベットの誕生だ。
 数千字を覚えなくても、表音文字を組み合わせれば何でも書けて、読めるアルファベットは強力だった。これがユダヤ教やキリスト教の経典をまとめる際に役立った。
 文字が少ないことによる運用コスト削減で、庶民でも裕福であれば読み書き出来る可能性が開かれたのだ。自分たちの信仰を明確に心に刻むことが簡単に出来る様になったのだ。

実は身近な一神教?宗教への心的態度と現代人

 ここからは世迷い言に近い感想なのだが、本書を読むといかに一神教の精神がその後の科学の発展とも関わってきたかが分かって面白かった。
 内的な世界にまで干渉してくる超厳格な一神教の神が、いかに人類が発展するなかで概念として地に落ち、「死んだ」とまで言われるようになったのか、漠然とイメージが繋がった気がする。
 一神教なんて自分には縁遠いなんて思っていたけども、現代の個人を基本とする世界では案外一神教の価値観というか心的状態は近しいのかもしれない。現代社会において感じる宗教への微妙な距離の正体が、少しだけ分かったような気がするいい本でした。

 

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