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寂しさとうれしさが入り混じる

昨日、交流会に行くときに、もうすぐ3歳になる長女に送り出された。

昨年12月のWebライターラボのオフ会のときは、「とーと、行かないでぇぇぇぇぇぇぇ!!!」と玄関で大号泣した長女。まとわりつかれて大変だったので、今回はしっかりと事前に流れを説明した。

すると、驚いたことに笑顔で送り出してくれたのだ。

正直、今回もかなりてこずると思っていたので、拍子抜けした。

でもなぜだか自転車を漕ぎ、駅に向かっている間、急にさみしさがこみあげてきた。

僕は育休を2年間とったので、長女のことはよく見ている。

生まれた当時はコロナ渦だったので、立ち合い出産はかなわず、初めての対面はガラス越し。直接触れることはできなかった。

生まれてきた命にただただ感銘を受ける中、ガラス越しにも関わらず聞こえてくる長女の力強い声。

そのときにはじめて、親になったという実感をもった。

育休中も妻とふたりでできるかぎりのことをして、愛情をかけて目いっぱい育ててきたつもりだ。

長女が生まれた翌年に双子が生まれたことで、妻は長女にあまり時間をかけられなくなった。

まだ1歳半くらいで母親に甘えたい全盛期の年頃だ。妻は授乳の関係で、どうしても双子からは物理的に離れられない。

だから、夫婦で相談して、僕が長女を受け止める役割になった。

長女に何かあれば僕がすぐに飛んでいき、かけつけた。

だからこそ、長女のことを妻よりも知っている自負があるし、保育園の連絡帳に書くネタにも困らない。

1人目ということもあり、少し過保護に育ててしまったこともあるかもしれない。

人見知りをして、恥ずかしがり屋。僕と離れることがあれば、どんな状況でも泣きじゃくって「とーと、抱っこして。」とくっついてきた長女。

そんな長女が、昨日は僕のことを笑顔で「とーと、行ってらっしゃい!」と笑顔で見送ってくれた。

大きな大きな成長である。

手間がかからずうれしかったはずなのに、なぜか突然さみしくなった。

子育てをしているといろんな人から、「手がかかるのは今だけだよ。」と言われる。

言われたときは、実感がもてず、「むしろ早くそうなってくれ。」と願っていたが、いざそのときが近づく瞬間に立ち会うと、なんとも言えない心境になる。

しあわせは今。今のかけがえのない瞬間を大切に、生きていこうと思った。

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