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Vol.54 今の気持ちは1時間目にプールに入ったとしたら、3時間目の後半くらい

こんばんは。
旭コータローです!

今日でコロナになってから5日目となりました。

一応、お医者さんの話によると、
安静期間は5日間ということなので、
明日からようやくふつうの人(?)に
なります。


そして、現在どのような状況かというと・・・

完治しました!!!!


とは、言えないです。(笑)


熱などは下がり、体のだるさや
頭痛、咳などはおさまったんですが、
ひとつだけ違和感があるんです。


それは、鼻とのどの間に感じる、
独特なにおい。


正確にはにおいではなく、
ずっと鼻がツンとしている感じ。


なんかね、本当にもう
タイトルに書いた通りで、
プールが1時間目にあったとしたら、
3時間目の後半くらいの
感じなんですよ。


プールに上がった直後って
結構鼻が塩素にやられてて、
THE・プールだと思うんですが、
時間が経つと次第に
マシになってきますよね。


ただ、ゆっくりした感じなので、
1時間目にプールに入ったとすると、
3時間目くらいな感覚なんです。
(伝われ!)


で、これがなんというか、
違和感というか、
気になりだしたら気になるというか。

別にいいんですが、
だってだってだって
だってだってなんだもん。

って感じ。(笑)


しかしながら、幸いにも
後遺症と呼べるほどのものはなく、
味覚もふつうにあるし、
身体の機能的には健在です!


あとメンタルはぴんぴんしてます。

自分でも本当に強くなったなと
思いますね。



それで全然関係ないんですが、
「プール」というワードで
学生時代のことを思い出したので、
少し書こうと思います。


わりと黒歴史なので、
供養の気持ちで書きますね。(笑)


僕は高校1年生のころ、
お寿司屋さんでアルバイトをしていた時期が
ありました。


お寿司屋さんといっても、
板前さんの回らない寿司とかでは
ありません。


がっつり回りまくっている
スシ○ーというチェーン店です。


そこで、ぼくは
わりとつらい経験をしました。

当時、アルバイトをするのが
初めてだった僕。


人とかかわる仕事がしたいという動機で、
キッチンではなく、ホールを希望しました。


そこで、最初の間はよかったんですが、
ぼくは当時”超”がつくほどの人見知りで。


おまけに女性恐怖症かつ
自分で考えて行動ができない
人間だったので、
まったく仕事ができなかったんです。


具体的にいうと、

  • 注文をめちゃくちゃ間違える

  • お会計の時の皿の数を数え間違える

  • お皿をまったく関係ない人のテーブルに持っていく

  • 優先順位をつけて動けない


などなど。


それはそれはひどいものでした。


中でも一番覚えているのが、
お客さんが「こういか」を注文したのに、
ふつうに「まいか」を持っていって
怒られたこと。


「同じイカやのに、
この人は何を怒ってるんやろう・・・」

と覚えていたのを覚えています。(笑)


まぁ、そんな感じだったので、
僕は仕事ができない人間だったんですよね。


くわえて人見知りで、
せっかく仲良くしてくれようとした
先輩たちから話しかけられても、
「そうですねw」
「はは・・・」
ぐらいしか返せなかったんです。

自分のことを開示するのが
極端に怖かった。

だから、周りからはどんどん孤立していき、
気が付けば、ぼくはアルバイト先で
仲の良い人とか気の許せる人が
まったくいない状況になっていました。


そして、ついには、店長から
「お前は、うちの店のクレーマーNo.2や。」
「次ミスしたらホールから出さんからな。」
といわれる始末。


当時、僕より2つ年上の人で
高卒の社員さんがいたんですが、
その人のほうがクレーマーを
生み出していたんです。


だから、ぼくはNo.2という
なんともいえない状況に。


そして、そんなことを言われて
必死にがんばっても、
やっぱりミスをしてしまいました。


すると、次に出勤した日から、
ぼくはホールではなく、洗浄という場所に
変わっていたんです。

洗浄とは、お皿とか
調理に使った器具を洗うところで、
ようは洗い物ですね。


仕事ができない人が
回されるポジションでした。


ぼくは、それを直感的に把握して、
「じぶんって何でこんなにできないんだろう。。」
と落ち込んだのを覚えています。


と、その職場自体は半年ほどで辞めたんですが、
そこからが大変でした。


ぼくにはずっと、
「仕事ができないやつ。」という
レッテルがこびりついたままに感じたのです。


だから、何やっても上手くいかない。
できない。


大学生のころにいろいろなバイトを
やりましたが、
本当に上手くいかないし、
心無いことを言われるばかり。


だってじぶんが
仕事ができないやつだって
思ってたから。


今思うと、世間はもっと広いよ
といえるんですが、
当時の僕にはそれがすべてでした。


ぼくはコミュニケーション能力も低いし、
先のことを考えて仕事もできない。
マルチタスクもできない。
なにもできずに、怒られてばかり。。


こればっかりは母のことを恨みましたね。

母は自分で考えさせてくれずに
正解だけを先に教えてくれる人だったので、
まったく考える力が養われませんでした。


だから、ずっとずっと苦しかったんですが、
大学1年生のときから続けていた
塾のバイトで少しだけ成長し、
ようやく「できない自分」のレッテルを
外すことになったのです。


これはまた別のお話。


というわけで、
今はライターとして
バリバリ仕事をしているので、
過去のコータローにあったら
一言伝えたいです。

大丈夫、そのままでええんやで、と。

今回は以上となります。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!


旭コータローでした。

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