心のホームレス
昨日、とある理由で母が家に来た。
妻が夜出かける用事があるので、念のため、手伝いに来てもらったのだ。
子どもたちも無事に寝て、久しぶりに母と話した。
あんなにじっくり話したのは、結婚前依頼だから、もう6年ぶりくらいになるのかもしれない。
母の今の悩みを聞いていくうちに、段々と本質的な話になっていき、時間はゆうに3時間を越えていた。
”目の前の人と徹底的に向き合う”
僕はこのスタンスを貫き通している。
それは母親であっても変わらない。
枝葉のアドバイスなんて正直いくらでもできる。
でも、母には表面的な解決ではなく、根本的な解決をしてほしかった。
だから、話を深堀していくと、最終的には母の父(僕からすると祖父)への感謝が大切だとの結論になった。
じゃあなぜ、母は自分のお父さんに感謝できないのか?
それには理由がある。
母がこの世に誕生する前に、すでに祖父は亡くなっていたからだ。
交通事故だった。
だから、母は自分の父親の顔を知らない。写真では見たことはあるけど、”お父さん”というものの実体を感じたことはない。
肌に感じたことがないものに感謝するほど、難しいことはないだろう。
でも、その感謝に行きつくためには、エネルギーが必要だ。
母にとっては、自分の父を知る努力、自分のルーツと向き合う時間などなど。
しかし、今はエネルギーがないと言っていた。
理由は、元日に起こった能登の大地震だ。
あれにより、心が疲弊したと言っていた。
この話から、母の悩みは自分事になっていく。
大阪にある実家は、古い。
耐震も正直ないため、能登ほど大きな地震が来たら耐えられずに、倒壊すると言われている。
言い換えると、いつ倒壊するかもわからない家に僕の両親は不安を抱えながら住んでいるのだ。
僕はその話は知っていた。2年前からたまに聞かされていた。
でもね、全然向き合えてなかった。
子育てに追われていたのもある。
それでも、僕は自分の両親の、一番近いはずの家族の現状に目を合わせられていなかった。
そして、その家について母に話を聞いた。
何に困っているのか?
何が問題なのか?
理想の未来は何なのか?
母から出た言葉は、「本当は今の家を解体して、平屋を建てたい」とのことだった。
しかし、お金がないから、家を売って引っ越す選択肢しかないと寂しそうに言っていた。
これを聞いた瞬間、僕はとても胸が痛くなった。
自分の大切な両親は、お金がないという理由で、今もいつ潰れるかわからない家での生活を余儀なくされていたのだ。
金額をざっくり聞くと、もっとも理想の未来をかなえるために必要な金額は2,500万円だといわれた。
今の僕には払えなかった。このときにポンと払える息子ならどれだけよかっただろう。
悔しかった。
いつも助けてくれる両親に親孝行したかった。
とよぴーなら、だいちゃんなら、ぬんさんなら払えたのだろうかとか、いろんな想いが頭の中を駆け巡る。
話をひとしきり聞いたあと、母親からは、「晃太郎が生きていてくれて本当によかった。ありがとう。」と涙を流しながら言われた。
なぜそのようなことを言ったのか、わからない。
2,500万円という言葉が僕の脳内に刺さって、頭から離れない。
本当の意味で、中庸をとっていく気付きを得られた1日だった。
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