最近とみにもの忘れがひどい、とお悩みのあなたへオススメしたい3冊(2017.09.23「シミルボン」投稿)

《もの忘れがひどい》という悩みに対する解
決策にはどんなものがあるだろう。やはり何
にせよ、まず優先順位をつけてみてはどうだ
ろうか。映画『メメント』('00米)に登場する、
記憶が10分間しか保持できないハンデを抱え
た主人公は、"忘れてはいけないこと"を自ら
の肌に刺青で刻みつけていた。もの忘れ対策
としてはなかなか過激なこの手段をまんま真
似ることは難しいとしても、それほど優先度
の高い"忘れてはいけないこと"があるのだと
自覚するのには意味があるだろう。一体、そ
れこそ肌に刻みつけてでも"忘れてはいけな
いこと"とは、どんなことだろうか。

「この機会に、わたしはみなさんに心からお
ねがいします。みなさんの子どものころをけっ
してわすれないで、と。約束してくれますか。
ちかって?」(ケストナー『飛ぶ教室』山口四
郎訳/講談社文庫)


21世紀版少年少女世界文学館 15(飛ぶ教室)著者: エーリッヒ・ケストナー

出版社:講談社

発行年:2011


クリスマスを控えた季節、ドイツのキルヒ
ベルクにある高等中学で繰り広げられるいく
つかの騒動とその顛末を描いた児童小説の傑
作。その冒頭に配された「まえがき」は、作
者である「わたし」から「みなさん」に向け
られた、親密な手紙のような体裁をもってい
る。先の引用は、自分が子供のときにどうだっ
たかなぞけろりと忘れたふりをして綺麗ごと
を並べたてた本を読んでいたく立腹したケス
トナーが、強い調子で異議申し立てするのに
続く部分だ。そう、ケストナーは、子どもの
ころが明るく楽しいものだから忘れないで、
と言っているのではない。「ときにはずいぶ
んかなしく、不幸なことだってあるのだとい
うこと」、それこそを、忘れないでと言って
いるのであり、そしてその言葉は、本編の主
人公たちがめいめい抱えている傷や痛みや悲
しみにそのまま繋がっていく。『飛ぶ教室』
の素晴しさは、その"忘れてはいけない"傷や
痛みや悲しみを、とびきりの楽しさとセット
で思い出させてくれることにあるのだ。
 『飛ぶ教室』前半に登場する、隣接する実
業学校の生徒たちとの大がかりな乱闘。曇り
ない正義感とフェア精神を信じる少年たちの
姿がまぶしい名シーンだが、蓮實重彦『映画
狂人 シネマの煽動装置』(河出書房新社)に
もまた、己の価値観にしたがい乱闘に身を投
じた若者の姿が、著者にとってけして"忘れ
てはいけない"光景として描かれる。

「……、ネクタイの乱れを気にもせず息をは
ずませながら立ちあがった少年は、あたりの
観客たちに向かって、彼は死に値する、そし
てその理由を説明してやるからお前たちも聞
くがよい、いいか、これはフォードの映画な
のだぞ、それを忘れるな、だというのに、あ
の不謹慎な男は、その女友達とともに、この
美しい画面を見ながらフォードを愚弄しつづ
けていた、……」


映画狂人シネマの煽動装置 著者: 蓮實 重彦

出版社:河出書房新社

発行年:2001


映画批評家(仏文学、文芸批評、小説とそ
の仕事は多岐にわたる)・蓮實重彦の、本全
体がワンセンテンスという挑発的なスタイル
で書かれた一冊。文字通り途切れることなく
延々と続く、映画をめぐる感動や笑いや罵倒
の言葉に混じって、先に引用した「二十年ほ
ど昔になるパリでのこと」である映画館での
大立ち回りの光景が「ほとんど泣き出さんば
かりに感動」したこととともに浮び上ってく
る。自分がかつて出会った感動的な光景を思
い出すことの幸福感、それを忘れないでいた
ことの価値。本書はそんな記憶が、熱をおび
てうねっている。

「今夜二階にあるこの小さな部屋に座ってラ
ジオに耳を傾けているというのはなかなかい
いものだ。年老いた肉体が、年老いた頭が癒
されていく。こんなふうに、わたしはここに
いるのがふさわしい。こんなふうに。こんな
ふうに。」(ブコウスキー『死をポケットに入
れて』中川五郎訳/河出文庫)


死をポケットに入れて著者: チャールズ・ブコウスキー

出版社:河出書房新社

発行年:1999


そもそも《もの忘れがひどい》というのは、
老いとセットになって自覚される状態のなか
でもポピュラーなもののひとつだ。老齢には
まだ遠いとしても、少しずつガタがきはじめ
た身体を自覚する年齡はもっと早くに訪れる。
日増しに強くなる、自分が徐々にほつれてい
くような感覚の延長上においたとき、ブコウ
スキー晩年の、日記体裁で綴られたこの本か
ら受けとるものはとても大きい。
 競馬のこと、創作のこと、マーラーの素晴
しさ……、日々の生活や思索についてざっく
ばらんな語り口で綴っていく文章のなかに、
先の引用のような言葉がまぎれこむ。自らの
老いを凝視しつつ、それを「なかなかいいも
のだ」とつぶやくブコウスキー。そこにある
のは、ほつれていく自分を見つめ続けること
のできる、いわば足場のようなものだ。「老
い」と並走する自分を支えるための足場。そ
れを自分なりにつくることができれば、《最
近とみにもの忘れがひどい》ことなど、きっ
と、たいしたことじゃない。

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