『新世紀 エヴァンゲリオン』最終話について

今日、このあとTOKYO MXで放映する『新世紀 エヴァンゲリオン』再放送が最終話を迎える。考えてみると、自分にとっての『エヴァ』が「無類に面白い、全部ベットしていいと思えるアニメ」であった期間は、1話を見始めた瞬間から、この最終話を見終るまでの、今にして思えば結構短い間だった。

逆にいうなら、この最終話を見終えてから、『ジ・エンド・オブ・エヴァンゲリオン』を渋谷で観て映画館を出るまでの間というのは、『エヴァ』が「無類に面白い」を超えて、屈託とか、憎悪とか、ほとんど呪いに近いようなものとしてあった、そういう期間だったかもしれない。そんなタイトルは他にない。

この最終話は、当時、いわゆる「賛否両論」という枠組みのなかに入れて語られた―――「語られた」といっても当時はまだSNSは黎明期で、「ネット」の言葉のなかにはひどく悪し様な言葉もあったらしいというのは、自分は当時は直接は読んでいなかった。

自分の感想と、友人の感想と、雑誌メディアの言葉。概ねそれらで構成されたなかにあって、自分はこの最終回を、そこまで「否定」する気にならなかった。といって「素晴しい!」みたいなことでもなくて、なんていうか、「宙吊り」というのが一番近い感覚だった。

「宙吊り」だからこそ、「これの次があるはずだ……ある〝べき〟だ」という欲求への、サスペンドの状態になったのだと思うし、それはわりかし、エヴァ〝ブーム〟というものの、ひとつの根拠だったように体感していた。

このあと放映の『新世紀 エヴァンゲリオン』最終話、いずれにしても、ある「歴史」を形作ることになったエピソードです。どういう感想をもつにせよ、「TVアニメというジャンルを考えるうえで」、観ておいて必ず意味をもつ30分なので、未見のかたはぜひ。


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