見出し画像

アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑭「人生を変えた結婚」

わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
 
前回の記事はこちら


今日は⑭「人生を変えた結婚」です。



なんの根拠もない中、
「私はラッキーです。ありがとうございます」
を言い続け
 
 
運を良くしたいと玄関ホールの掃除を
続けて数ヶ月。


それをいつも見ていたおじいちゃん管理人さんから

「すごくいい人がいるから会ってみないかい。
「人」と言う意は
1人の人ともう1人の人が支え合っているから
この字が出来上がったんだ。
だから、誰かと生きることは人として生きることだ」

(ちょっと正確ではないかも知れませんが)
と言われ、お見合いをおすすめされました。


その頃の私は、もう、誰とも付き合いたくないし
1人で自分の人生を自由に生きていきたい。

これ以上誰にも縛られたくないという
気持ちでいっぱい。

一人暮らしって、自由って、なんていいものなんだろうと
思っていました。
誰かと一緒にいると面倒。
 

いちいちやりたいことを
相手にお伺いを立てて許可をもらってから
やるなんて、絶対に嫌!!とかたく誓っていました。





と同時に、それまでしたことがなかった、
小さなことにチャレンジを始めていました。


例えば

お休みの日は昼ご飯の時間から
缶酎ハイを飲んでみたり。

それまでずっと、親からもらった体を
キズつけてはいけないと我慢してきた
耳にピアスの穴開ける。


道の駅で車中泊をしてみる。


そんなふうに自然と自分を変えるための
行動をし始めていました。

この時は自分を変えるため、と意識していた
わけではないのですが、今思えばチャレンジを
し始めていたのでと思います。


嫌な職場を変えたり、いやでもニコニコ、

人に自分の意見はまだ全然言えませんでしたが、


人と関わらないところで
それまでしたかったことへの挑戦をしていました。



この写真はイメージ画像なのですが、ピアスの穴を開けたお姉ちゃんにと、真ん中の妹が自ら選んだピアスをプレゼントしてくれました。真ん中の妹からプレゼントをもらったのは初めてだったかも。
とても大切な妹です。



ですが、管理人さんのあまりのしつこさに
「じゃあ、〇〇さんには
マンションでお世話になっているから
会います。絶対に断りますから」と
会うことになりました。


あったその人は、顔も身長も理想ではありませんでしたが
なぜか不思議と落ち着く人。

私はまたこの人からも否定されるのではと
恐怖を感じながらも
どうせ断るからと気軽にごはんを食べに
いきました。




 
気がついたら、5ヶ月後に入籍していました。
33歳の時です。





久しぶりに連絡をとった母親からは、
「農家だからダメ」と言われましたし、
結婚式前日に「やっぱりやめなさい」と電話が来ましたが
気にしませんでした。

幼少期から「農家はダメ」「頭が悪いから」と言われ続け
反発もあったのか、
私自身は農家であることに抵抗はありませんでした。




結婚してから相手のことをたくさん知りました。

この頃の私は、すでに何をしても相手から
批判されると無意識で思っていたので
旦那さんに何か言われると、

私を否定、批判しているんだ。
やっぱりうまく行かないのかな。。。
と落ち込むこともありました。


ですが、そう思いながらも
全く否定してこない。
好きなようにしたらいい、と言ってくれる。
いつも味方をしてくれる人でした。


社会に出てから特に、浮き沈みが激しく辛いことが多かったのですが

不思議な安堵感で、感情も安定する日が多くなりました。



自己否定が消えたわけではありませんでしたが
深く落ち込みすぎて、
何日も動けない、
誰かに言われたことを何ヶ月も引きずる、
家事すらも手につかないなほどの
ぐるぐるに巻き込まれることも
かなり減りました。
(全部なくなったわけではありません)




また、夫の両親も何も否定してこない。
そうなんだね、と話を最後まで聞いてくれる。

自分の実家とはあまりにかけ話れた
雰囲気に驚きました。


どうして、こんなに私の話を聞いてくれるのだろう?
話の途中で、話を被せてこない。

なんか、存在自体受け入れてもらえてる感じがする。

え???私の悪いところ、いっぱいありますよね???
このままじゃ嫁として足りないこと
ばかりですよね???
急にキレたりしませんか??
こんなに安心な世界にいたら、バチがあたる。また不幸が襲ってくるかも。。。。



何が違うの????


今まで感じたことのない感覚で
不思議な感じでした。






そんなありがたい人間関係の中に入れたのですが
すでに私の体に染み込んだ
「常に緊張感」
「自分は生きてるだけで価値がないし、人に迷惑をかける」

は残り続け


心の中はいつも何か黒いものに支配され
いつも身体中が固く肩こりに悩まされる

日々は続いていました。


また、自分から天国に早く行きたいという
感覚はなくなったものの、
いつお迎えが来てもいいという諦めの気持ち
心のベースにはびこっていました。


結婚してからも最悪な職場に1年間お勤めしましたが、
いじめてくる男性社員は結婚した途端
突然優しくなりました。

困った時に渋々助けてくれるように
なりました。

ですが、すっかり自律神経が壊れていたのと
正社員の仕事は時間的にも
きつい職場でしたので
退職しました。






その後、念願だった元職場に
「戻ってきて」と声をかけていただいたので
パートとして戻ることになったのです。

戻ったら、本当に楽しかった。
やりがいも感じました。苦情なども大丈夫。

新しいシステムもすぐに理解でき
久しぶりのお金の感触に喜びを感じました。


とにかく私は銀行の窓口のお仕事が
大好きだったと改めて実感することに
なったのです。


窓口の仕事の魅力は
私の窓口に縁があってきてくれた人を
笑顔で気持ちよく返すこと。


優しい安心した気分で帰ってほしい。
この銀行によってよかったなと
嬉しい気持ちを持って帰って欲しいと
思っていました。


その結果、たくさんある金融機関の中でも
この銀行を好きになる人が1人増えて
ファンが増えると嬉しいなと
お勤めさせてくれている会社に
何かできたらなと考えていました。

7年ぶりに戻ったので、もう誰も私のことを
覚えていないだろうな、と思っていたのですが
嬉しいことに、みんなから怖い、気をつけてと評判だった男性のお客様から
「おかえり」と小さな声でさりげなく言ってもらえたり。
(感動で涙が出ました。覚えていてくださり、ありがとうございます)


私は真心込めた接客が大好き。人が好き。
改めて実感したのです。




5年お勤めした最悪な職場も
接客メインだったのですが、
職場の人間関係が悪すぎて
大好きな接客で自分の力を発揮できませんでした。

どんなお仕事でも、職場の人間関係が悪いと
自分の表情が暗くなったり
お願いしなくちゃいけないことも気軽に頼めない、
本来持ってる能力は発揮できないのだと
実感した経験となりました。

職種は関係ないのです。



たった1人でも心を許せる人がいたらまた
違うのでしょうが、
誰が味方で誰が敵なのかわからない職場は
この超マイナス思考のメンタルの私には
到底耐えられないものでした。





せっかく大好きな職場に戻り
楽しくお仕事をしていましたが、
8ヶ月で退職しました。

 
なぜなら
ありがたいことに妊娠したのです。

あんなに子供を育てることに抵抗と恐怖を感じ
負の連鎖しか想像できなかった妊娠。




 
 
母は、冷めた表情で「へー」「35歳だよ」と言いましたが
気にしませんでした。


怖いけど、愛情持って頑張って育てよう。
この夫となら大丈夫かもしれない。
お腹の中にいる我が子の写真を見て
誓いました。
 

 

銀行では妊娠8ヶ月までお仕事をさせて
もらえて本当にありがたかったです。





復帰できて、高め合える人間関係、
しっかり連携している、
全員ではなくてもお互いを尊重しあってる職場。
何よりお金も計算も大好き。

自己否定が消えたわけではないけど
自信がほんの少し戻りました。
 





 
次回は⑮「絶対にしたくなかった親と同じ子育てをした私」です。



いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます😊

自分を生きてこれなかったアダルトチルドレンママの
幸せマインド&夢を叶える

自分も人生も開花する

メンタルコーチaki



35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。