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アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑱「好転。人生のステージ マイナス→「0」→プラスへの8年間」

 
わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
 
前回の記事はこちら



自分なんてどうせ、という自暴自棄な考え方をやめたい。
長女の未来を守りたいと
コーチングを受けると決め、
毎週電話でコーチと話す。
 
 

セッションでは、
コーチからの質問に対して

ずっと自分の気持ちは出してはダメ。
と出すことを我慢してうちに秘めてきた
絶対に誰にも話せないと思っていた
自分の気持ちや過去を開示していきました。
 
 
ワークなどを通じ
今、自分はどんなステージにいるのか、
自分て、そもそも何なのか。
どうしたいのか。

どうされたかったのか。

また、母は母なりにどんなことをしてくれていたのか。
母は、母にとっての正義で私を育ててくれていました。





 
 
前回の記事に書きましたが、
人前で過去を話したり、

実家と半年ほど連絡を取らない、と
いうこともしました。

母親と、大人と大人として
繋がりたいと思った私は

母との会話の中で
「〇〇しなさい」と言われても
「私はこう思うからやらない」と
キッパリと自分の気持ちを伝えるように
しました。

母はもちろん反論してきましたが、
気にしないように心を守りました。





 
 
また
「うちはどうせ女の子しかいないから
この家からは誰もいなくなる。
お墓も、無縁墓地だよ」と
言われても、
過度に反応しないように練習しました。


以前の私なら、
「そんなことないよ、大事にするよ」と
言って欲しいんだ。
と察し、親が言って欲しい言葉を
探して喜んでもらえるような言葉を
伝えるようにしていました。



ですが、もう親の期待に応えないと
決めて会話も境界線を引くようにして
実際態度でも示していきました。




母は、私が私の子供に対する
声かけを聞いて、

「あき、何言ってる。
ちゃんと〇〇しなさいって怒りなさい」」

「〇〇してくれるかな?
そんな優しくいう必要はない」

「いうことを聞かない子供になる」と
伝えてくることもありましたが、


私は子供の気持ちを大切にし、
寄り添う子育てをしたかったので
自分の信念に従った声かけを
するようにしていきました。




セッションでの大きな気づきは、
自分が被害者意識だったこと。

全部自分が被害者の立場で、可哀想、悲惨な存在と思っているとこに
驚きました。

幼少期は自分の考えを出すと怒られ
気持ちを伝えても、
親と意見が違うと無視される。


そのために、心の中でどんなに
嫌だと思っても、親の全てに従う。
親の機嫌を取ることが大切なこと。
親に良い評価してもらうことが全て。


私は親に受け入れてもらえず
否定ばかりされたせいで、自分がこんなに生きづらくなったと
思い込んでいました。


その思考の癖が大人になって
社会に出たら生きづらさになったと
気づき、驚きました。



幼少期、辛い時間を過ごしても
私にとっては、生きていくために必要だった
「被害者意識」
社会に出ると生きづらさになりましたが、
幼少期は私の心を守ってきた考え方とも
言えると思っています。






それからは「自分の人生に責任を持つ」
意識し誰かのせいでこうなった、
環境が悪いからこうなったという
考え方を捨て
本気で自分を幸せにするための決断をするようにしていきました。


意識していたら、気がついたら
主体的に考えることが
少しずつできるようになっていきました。






また、コーチングを受け始めて
2年後くらいに
私は笑顔や喜びを増やしたいという
価値観があるとわかったので、

自分も幼い子供がいましたので
子育てサークルを立ち上げ、
いろんな講師の方をお招きし
料理教室、ヨガ、ハンドメイドなど
様々なことにチャレンジしました。

 
今までやってみたくても勇気をさせず
できずにいたこと、
まだやっていなかったことに
次々とチャレンジしていきました。

また、克服していく5年間の間に、
次女と長男も生まれました。

 



夫の会話や、義父母との関係も
格段に良くなりました。

 
誰かが私の近くで話をしていると、
きっと悪口を言われているに違いないと
不安でいっぱいになりましたが、
それも嘘のように消えました。





 

 
少しずつ、心が軽くなり
嫌われてもいい、
できなくてもいい、
自分は自分で大丈夫なんだと思え、
気がついたら
 
 
まだ自己否定は残っているし、
人の評価が怖く、人の目が気になる状態だけど

 

小さく行動したり、チャレンジできる
自分に変化していました。







そんな5年間を過ごした後、

 
(人生のステージがマナスから「0」に到着した
ともいえます)

もっと自分を生きたい。
自分の可能性や力を試したい。
もう、後悔ばかりの人生をやめたい。
 
 

ずっと心の中にある、
人の笑顔や喜びを増やす何かをしたい。

  
そう思った私は、
元々自分が大好きだった、
ハンドメイドと野菜販売を主とした
マルシェイベントに挑戦することに
しました。

1回目から4回目まではとにかく必死でした。

自分は目立ちたくないけど
イベントで関わってくれる人の笑顔と喜びを
増やしたい。

マルシェをいいものにしたいと、自分が目立つことや写真に出ることは
正直絶対に嫌でしたが、


新聞や〇〇さんのニュースで宣伝して
もらったり、
地元の情報誌にも広告を
出しました。


地元の広報誌などに
活躍してる女性
という記事で特集してもらったり、

PTAの3役にもお声をかけて
いただけたので
上に立つとは、と2年間挑戦しました。

また、地域の役への
ご依頼いただけたものは
とにかくやってみました。




 
 
マルシェ一回目の次の年からは
資格を取得して12年間、ひたすら
いつか講師をやるため、と
年会費だけ支払っていた協会の資格を使い
アロマ講師として仕事を始め、

その4年後にコーチングのコーチとして
仕事を始めました。



その間も、時々セッションを受け
自分の内面と向き合い続け
生きづらさを克服し続けました。

マルシェでたくさんの人の喜びや楽しさを広げたい。
アロマの集客のためにマーケティングも
学びました。




子供に、カッとなり感情爆発で突然怒鳴ったり、
暗闇に閉じ込めたりはしなくなり、

ここで遊びたいと言われたら
次の予定をキャンセルして
子供の気持ちを優先したり。

お腹が空いてご機嫌ななめにならないように
毎朝お出かけにはおにぎりを持参し
子供が笑顔でいられることを
考え続けました。




自分と向き合い続け
自分のことを信頼、尊重できるようになったら
自然と子供のことも尊重し、信頼できるように
変化して
子育てが格段に良くなっていきました。


 
 
もう、得体の知れない
突然湧いてくる「怒り」も消えたので
心穏やかに子育てができるように
なりました。






気がつけば、ママ友との関係も
楽しめるようになり、
マルシェを通して
ママ友を超えたお互いを尊重し高め合える繋がりのお友達も
できました。





母は、母の精一杯で大切にしてくれた。
母も、親から辛いことをされた被害者。
負の連鎖は続いていたのです。
なので、母が精一杯私にしてくれたこと、愛へ感謝しています。


また、父親も大変だったと思います。
いつも機嫌が悪く、ちょっとのことで被害者妄想が
始まる。
誰もそこまで言ってないのに、不安からの妄想を
あたかも本当のように話す妻。

よく離婚しなかったな、と思います。

小さい頃は私の味方だったけど、
途中で傍観者となりました。

それは父は父で、この家庭を守るためにした選択。


もう、これが分かっただけで、十分です。





私はしてもらいたかったけど、叶わなかった子育てを
自分の子供にできるように
少しずつなっています。

 
 
夫は、やってみたらいいと味方になってくれて
なんでも応援してくれました。
感謝です。





 

 
次回は⑲「本音を言えた喜びと愛からの決別」
です。

 


いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます。

自分を生きてこれなかったアダルトチルドレンママの
幸せマインド&望みを叶える

自分も人生も開花する

メンタルコーチaki



35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。