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ある恋愛小説家の恋バナ


2杯目コーヒーが来た。

向かいに座る彼女は、さっきからまるでタックスヘイブンとして僕を活用するかのように恋バナを続けている。

たぶん僕は、彼女にとって何かの回避地なんだろう。

平日の午後。懐メロがレコードで聴ける純喫茶での次回作の打ち合わせ中。

彼女は売れっ子の恋愛小説家である。

足を組んだり組まなかったり、今日の彼女の服装はいつもとは違って、どこか喪に服すかのような感じがあった。

他の人から見たら普通の格好だけど、見慣れている僕の目にはそう映った。

おそらく、失恋だろう。

滑り出した恋バナに対して細かく相づちを打ちながらも、職業病で僕は物語の先を追いすぎてしまう。

とにかく彼女の次回作の結末が決まってないのだ。

今日はその打ち合わせなのに……。

不思議と彼女は恋バナをする際に文学的表現を使うことを避けることが多かった。

理由は不明。

店内に流れる懐メロが昭和のものから平成のものに変わる。

彼女の話はなかなか進んでいかない。

というわけで、

この間を利用して、彼女の恋愛作家としての華麗なる執筆歴をご紹介しておこう。


🔸『エスプレッソマシンが止まらなくて』でカフェ恋ものの新境地を切り開き、華々しくデビューを飾る。

🔸2作目『恋も休み休みしろっ!』と3作目『恋の箸休め』で恋する働く女性から絶大な支持を得る。

🔸『休肝日の恋』ドラマ化・『その恋、神回ですよ』漫画化。
主人公の「私が失恋するかしないかは、あなた次第です」というセリフは流行語となる。

🔸『恋の異次元緩和措置』は映画化され、社会現象となる。

🔸『恋を魔改造するための100のメソッド』は“今世紀末まで残したい1冊”に選ばれる。

🔸そして、『恋の2026年問題』の提唱※【2024年問題や、2025年問題が片付いて、さあ恋愛しようとなった時に恋愛の仕方を忘れてしまっているというもの】で世論を焚き付ける。

その他、多数執筆。

ざっとこんな感じの大作家である。




「ねえ、ちょっと、ちゃんと聞いてる?ねえってば」

「あ、はい、聞いてます」

その後も全く打ち合わせは捗らずに恋バナだけが続いた。

そして彼女の話はゆっくりとではあるが、着実に『恋の“その時”』へと進んでいった。

そう、別れの時だ。

彼女がずっと僕を担当としているのは、彼女曰く、口が堅いからなんだそうだ。そして、彼女に言わせると、口が堅い男はたいてい唇が柔らかいんだそうだ。本当だろうか。

彼女は一度コーヒカップを口もとまで近づけて、でも飲まずにまたテーブルの上に戻し、そしてその場面への言及をはじめた。

その日は雨が降ってたかしら、いえ、ポツポツだったと思う。小説的じゃない夜が始まろうとしてた頃、私と彼は駅へと並んで歩いていたの。2人で少しお酒を飲んだあと、彼を駅まで送るとこだった。雨が落ちてきたせいで、みんな足早になって、その雑踏のなかで雰囲気とかが台無しになって、でもちょっとそれでよかったなって思ったの。
付き合って2年くらい。そんな感じ初めてで、彼の横顔を変なタイミングで見たの。で、彼が「??」ってなって、そのとき私わかってしまったの、ああ、私が描き出す別れ際と一致したって……。職業病ね……。自分で別れ際を作り出してはめ込んじゃうなんて。いつだってそう。
改札まで行かずに「ここで」って言って立ち止まった。もうそこからは最後みたいな会話を作ってた。彼は頭をかいてから、「じゃあ」と言って歩き出した。ある作家が書いてたわ、『人間にとってもっとも重みのある歩みは立ち去る時なんだ』って。無防備だから全部出ちゃうのね、立ち去る時は。
適度に離れた時、唐突に、彼がもしかしたら振り返るんじゃないかって思ったの。仮にそうなった時、私は立ち去る姿を見せるべきなんじゃないかって。
でも同時にこうも思ったわ、彼がもしここで振り返ってくれたら、さっきの気持ちはなんでもなかったんじゃないかって。そうなるんじゃないかって。そしてそれを私は心の奥で期待してるんじゃないかって……


向かいに座る彼女はそこで大きく息をついた。

なぜだか僕は急に話に引き込まれ出していた。もうラストというところで引き込むなんて、小説の構成ならダメダメなんだけど。

「で、振り返ったのかい?彼は」

僕のその質問が聞こえなかったみたいに彼女は少し頭を抱えた。

「あれ?でもなんであの日、彼はあんな地味なスーツだったんだろ?それに前髪も下ろしてた」

彼女は今になって引っ張り上げたその事実に混乱しているように見えた。

でもすぐに気を取り直してまた僕の方を見た。

「で、彼は振り返ったの?振り返らなかったの?」

「うん、あのね……、彼は……」

外で雨が降ってきていた。


                      終

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