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バングラデシュ 2日目

おはようございます。最悪の朝です。
寝ている間に何度も蚊のゲリラに襲撃されました。真夜中に全身5カ所位刺されて目が覚めて、2匹くらい倒して寝ようとしたら、耳の周りをずっと飛びまわって、私の睡眠を邪魔してきました。そのようなことが夜に2回から3回起こりました。疲れきっていたので、何とか寝ることができましたが、通常の状態であればストレスで寝れなかったと思います。宿泊場所変える決意がさらに固まりました。airbnbのホストの対応はとても素晴らしく、ホスピタリティー溢れるものでした。しかし、今日寝たところがバングラディッシュの標準的な家だったとしても、この蚊と水回りはバングラディッシュを回って、休もうかと思って宿に戻って来ても気が休まりません。
10時に、日本人2人組と合流して、新しいホテルに移動始めます。
1時間かけて新しいホテルに。セキュリティーチェック付きのホテル。さっきまでいた宿と比較して最高です。

オールドダッカの街並み

オールドダッカと川に向かって歩き始めました。歩くだけでもすごい疲れます。人口密度と交通量が多すぎてまっすぐ歩くことができないし、気温も高いし。市場(バザール)に寄ったりしながらボチボチ歩いていると、日本語のしゃべれるバングラディッシュ人に会ったりしました。1980年代位に留学に来ていたみたいです。
バングラディッシュはグローバル化が来ていない国だと痛感します(旅行客として良い意味で言っています)。まさに異国です。他の国では、チェーン店や私たちが今まで見聞きしたことのあるサービスが当たり前でしたが、ここではそういうものはありません。特に、コンビニやカフェ等はありません。水を買おうと思ったら、歩いて近くの雑貨屋を探して値段を聞いて買うと言う形です。あと、イスラム教の国なので、お酒も買うことができません。ホテルにバーが付いていたのですが、入れる人は男性のみでした。こんなにも世界には文化と言葉があるのに暗黙知が通じるグローバル化と言うものが恐ろしいなと思いました。

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そんなこんなで歩いていたら、親切なバングラディッシュ人にお茶を奢って貰いました。バングラディッシュでは、外国人自体が珍しいらしく、歩いているだけで声をかけられたり、何度も振り返って顔を見られたりします。
川まで着いたら、兄弟が日本にいると言うバングラディッシュ人が喋りかけてきて側の辺を案内してくれることになりました。結果的に親切でとても良い人だったのでよかったですが、振り返って考えると危なかったなと思います。
その人の案内でボートで対岸まで行って、船の墓場を見たり、ジーパンの工場を見たりして帰ってきました(ジーパン買えば良かった)。お金は要らないと言っていましたが、1人1000タカ、合計で3000高払いました。とても親切な人で日本人2人組のバングラディッシュ人の知り合いに連絡をしたときに、私たちからしっかりお金を受け取りましたというの相手に伝えていました。5月に大阪に来るらしいので、その時にまた会えたらいいなと思います。

船着き場 庶民の足として機能している
船の墓場 YouTubeで調べたらこの場所のドキュメンタリーが出てくるレベル
作業中

オールドダッカ観光の後に、日本人2人組の友達のバングラデシュ人の家に行くことにしました。ダッカ名物渋滞で少しの距離を移動するのに1時間以上時間がかかります。やっとの思いでバングラディッシュ人の家に着きました。
そこで夕食をご馳走して頂きました。温かく楽しい時間でした。ゆっくり過ごしていると深夜の1時になってしまいました。バングラディッシュの方々は外はもう危ない時間なので、家に泊まって行きなさいと言ってくれましたが、ギトギトになった服を着替えたいのと、やはり寝る時は1人の方が落ち着くと言う理由で無理を言ってUberを呼んで帰ることにしました。Uberの運転手のおっちゃんはとても気前の良い人で、ここから国会議事堂ですよ!とかダッカで1番歴史のモスクだよ!とか教えながら夜中なので、交通量も少なく、あっという間にホテルにつきました。洗濯物をして3時に寝床に入りました。今日はくたくたに疲れたので、明日は午後から遊ぶことにします。
おやすみなさい。

雑記
リキシャがこの国のメイン交通手段だった。ほかの国では(ベトナムとかカンボジア)、リキシャは観光客向けにギリギリ残っていて現地の人たちは一切使わない。リキシャの人も観光客にしか声をかけない。しかし、ここではリキシャが最も使われている交通手段だった。まぁ、それが渋滞を助長している節があるが私としてはとっても良かった。

赤いやつ全部リキシャ

21日目終了



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