よくわからないけど行ってみたバングラデシュ

ハンドメイド作家のPlava Stabloこと青木弘之です。

2012年の年末からインド旅行に行ったあと、しばらく集中して南アジア地域の国々を旅行していました。

鍼灸学校に通い始めたので、まとまった休みが夏・冬・春休みしかなく、そのうちに、患者さんとの接し方を学ぶために、整骨院でアルバイトも始め、海外旅行のためということで何日もアルバイトを休むのも気が引けたので、長くとも一週間程度で、今まで行

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きっと、すべてはここから。

「ここから全てが始まったんだ」

e-Educationの始まりの国、バングラデシュ。
開人さん、アツさん、マヒンさんが出会ったダッカ大学。

全ての事象には物語があって、
誰もが自分だけのストーリーを持っている。

何百回も聞いた開人さんのプレゼンも、
何百回も読んだブログも、
画面や人のフィルターを通したものだったけれど、私は今、
自分自身で感じて、自分の足でこの地を歩んでいる。

e-Edu

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29人目 シュンさん@ダッカのロコ

最近、たまたま見たTEDの動画でバングラデシュはアジア最貧国です。と言っていました。調べたところ、たしかに一人あたりGDPはアジアでは最低クラスみたいです。年間1600ドルちょっとなので、1日4.5ドルくらいでしょうか。

人口は1億6千万人くらいいます。日本よりずっと多いです。首都のダッカは人口890万人なので、あんまり首都に集中していない感じなんでしょうか。大きな川が多くて、毎年水害が大変と言

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最貧国と言われた国、バングラデシュ。

南アジア、インドの北東に位置する小さな国バングラデシュにやって来ました。

NPO法人e-Educationが主催する実践型教育プログラムLAMPの第3目的地、バングラデシュ。私は2月から続くこのプログラムに参加しています。

日本、ミャンマー、バングラデシュの3カ国から若者15名が参加して、各国を共に巡りながら社会課題に触れ(Learn)、解決策を見出し(Make)、そして行動していく(Act)

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犠牲祭(見)聞録

8月11日〜12日は第2イード(Eid ul Adha)というイスラムの祭日でした。

アブラハムがイシュマエルを犠牲として捧げたことを祝う祝日で、日本語では犠牲祭とも呼ばれています。動物を1頭生贄として捧げ祝います。

おそらく中東、北アフリカなどではヤギやヒツジを捧げるのがポピュラーなのかと想像しますが、インドネシアにいた頃も、またここダッカでも、牛の生贄を見ることが多いです。とは言えやはり牛

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アセアン52周年

2019年8月8日は、アセアンASEAN ー東南アジア諸国連合の52周年記念日です。記念式典とフードパーティに参加してきました。アセアンは全10カ国ですが、バングラデシュにはラオスとカンボジアがいないので、8カ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)による実施です。

東南アジアいいなあと思うのは、ご飯がどこも美味しいことです。ハズレがない。

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バングラデシュ2周年と2カ月

2017年6月某日。

ラマダン(断食月)がもうすぐ明け、イードのお休みに入る頃、バングラデシュの首都ダッカに異動してきました。こちらのDCC (Dhaka City Corporation) Marketには家具を見に行ったのでした。(買わなかったけど)近年地価の上がるダッカの商業地区中心部で、今も庶民の生活を支えているマーケットのひとつです。

ダッカはいつも人が多いのですが、イード期間中は人

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ドライバー 27

大使がいつになくソワソワしている。

着て行く服を気にして、何度も着たり脱いだりしている。

 私にもいつものポロシャツではなく、長袖のブルーなパリッとしたシャツを渡し、

「サイズが合っているか着てみなさい」と言った。袖はちょっと長すぎたが、少し捲りあげれば、それなりになった。

「いいじゃないか」と大使も言ってくれた。

鏡に映った自分はまんざらでもなかった。貧しくて着る服もなく裸で過ごしてい

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ドライバー 25

田島が折り返し電話をしてきたのだ。

田島はシンガポールにいるのか、あるいは日本か、あるいは世界中のどこかかも知れないが、いつも地球儀で見ているあんな距離を飛びこえて、田島がラーマン先生の携帯を鳴らしたのだ。

確実に田島に近づいている実感がする。

そうなるとワクワクする半面、ゾワゾワとした恐怖感も感じるようになってきた。

「俺は田島の何を知っているというのだ?

あの素敵なピンク色のシャツと

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ドライバー 16

ある日、大使のお客様として日本の大使を車でお送りする機会があった。

日本の大使の顔をバックミラーで見た瞬間、田島の事を思い出した。ダッカには韓国人が多かったので、これまで田島のことを韓国人だと思っていたが、彼は日本人なのだと確信した。と、同時に日本ってどんな国なんだろうと想いを馳せた。

日本大使の穏やかな表情、その仕草、言葉づかいなどすべてが田島を思い出させた。

大使の着ていたブルーのシャツ

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