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俳優 市原 隼人氏


俳優としてテレビドラマや映画において数々の役を演じてきた市原隼人氏。「君に捧げるエンブレム」では車椅子バスケットボール選手役を演じたことをきっかけに、カメラマンとしてパラアスリートの撮影にも精力的に活動。また、脳梗塞後遺症と戦う実父の姿を見ながら「人生」や「障がい」について考えてきた。市原氏が思い描く「強さ」とは?


強さと優しさを教えてくれた愛する父


「挨拶はデカい声でしろ」

「人が寝ている間に10倍努力しろ」

「字は、はみ出るくらい大きく書け」

アメリカでエンジニアとして務めていた父は生粋のスポーツマンでもあり、礼節や人としての強さを重んじる人でした。

幼少期には、いつも日が暮れるまでキャッチボールに付き合って、肩車をして家路についてくれました。あの日々の光景を大人になった今でも忘れることはないです。

そんな厳しさの中にも愛情溢れる独特の教育論が、現在の「市原 隼人」の土台をつくった。

20歳ぐらいのとき、京都でドラマの撮影をしている最中、突然母からの電話が鳴り、いつもなら母が電話をかけてくるような時間帯ではなかったので、何とも言えぬ胸騒ぎがしました。

震えた声で「お父さんが、脳梗塞で倒れちゃったの・・・」と振り絞るように言った母の言葉を聞いた自分は、「父がそのまま死んでしまうのではないか」と思い、電話を切ってから泣き崩れてしまいました。

幸いにも命には別条なかったのですが、左半身不随の後遺症が残りました。

その後、懸命なリハビリにより杖を使用すれば歩けるまでになりましたが、そのまま回復過程を辿っていくと思っていた矢先に、再び脳梗塞を発症しました。脳梗塞は再発リスクが高い病気とは聞いていましたが、その後も再発して通算3度の脳梗塞に倒れました。

母の支えのもとリハビリに励み、必死で後遺症による機能低下に逆らっていましたが、現在は車椅子生活です。

運動好きな自分は、肉体的健康にこそ強さが宿るものだと思っていたが、そのような父の姿を見て、病に臥したり障害を負っても、そこに立ち向かう精神的な強さというものがあることを知りました。

肉体的には弱りゆく父の姿から、底知れぬ強さを感じさせられました。

自分が思っていた「強さ」とは何だったのだろう、と考えます。

父の受難を通して感じた命の尊さ


Q1.お父様が脳梗塞で倒れたという連絡を受けた時、どのような思いが過ぎりましたか?

A:強さの象徴のように思っていた父が倒れるなんて思ってもいなかったので、ただただ頭の中が真っ白になりました。自分もまだ若く、親孝行なんて何もできていなかったので、「このまま死んでしまったら、どうしよう・・・。」ということばかり考えて、病院へ向かったのを憶えています。

Q2.病院でお父様と再会した時は、どのようなお気持ちになられましたか?

A:弱った姿を見るのは辛かったですが、とにかく命が助かって良かったという気持ちでした。

Q3.脳梗塞発症後のお父様は、麻痺が残存されてしまったとのことでしたが、精神的にはどのような変化がありましたか?

A:周囲に対して、かなり気を遣っていましたね。ある日、家族で外食をして、店員の方にサポートしてもらった直後に「隼人、こんなになっちゃってゴメンね。恥ずかしいよね」と何度も謝っていたんです。

その言葉を受けて、「そんなことない。もし障害を持つ人間が生きずらい世の中なら、そんな世の中が間違っている。」と伝えました。

市原隼人が思う「強さ」とは?


Q4.隼人さんの考える「強さ」とは、どのようなことですか?

A:どんな状況にも屈しない精神をもつことだと思います。生きていれば、苦しいことや辛いこともありますが、そのような時にどんな心持ちでいられるかが大切だと思っています。

Q5.病気を患ったり、障害を負ってしまうと、前向きになることが難しい場合もあるかと思います。そのような人がいたとしたら、隼人さんはどのように接しますか?

A:計り知れない相手のことを100%理解することはできないと思います。ですが、相手の気持ちを理解しようと思い立つ最初の1%をいつまでも大切にし、寄り添っていけたらと思っています。

Q6.相手のことを1%からでも理解するためには、どのようにしたら良いでしょうか?

A:ある日、スーパーで買い物をしていたら、車椅子に乗ったご高齢のかたを見かけたんです。そのかたは、大量の品物を袋詰めしていました。

「大変そうだから手伝おうか」と思った次の瞬間、「これも自分で身体を動かすリハビリの一環になる為、かえって手伝わない方が良いんじゃないだろうか」という考えが浮かびました。

それでも、声をかけようかどうか悩みながら、スーパーを3周ほどウロウロしました。そうしているうちに、「(コロナ禍の時世もあり)触れられることでイヤな思いをさせてしまうかもしれない」とも思い、散々悩んだ挙句、何もせずにスーパーを去りました。

スーパーを後にした自分は、そのとき何もしなかったことを激しく後悔しました。

なぜ、一声かけられなかったのか・・・迷惑だと思われるかどうかではなく、何も行動しないと何も理解できないということだと気付いたからです。

もしかしたら、その方も誰かから声をかけてもらうことを待っていたかもしれません。それは、声をかけなくては分からないのです。

なので、それ以来、困ってそうな方がいたら、その人の立場になって考えつつも、「何かできることはありませんか?」と声をかけるようにしています。

正解か否かを悩むなら、相手を知るための具体的な行動をとること、その行動をとることに臆するのではなく勇気と誠実さをもって接すること。当然のことにようで意外と難しいですが、そんな当たり前のことを当たり前にできるようになりたいです。

「福祉観」を深めるきっかけとなったのは?


Q7.まさにお父様から教えられた強さと優しさですね。元々、隼人さんは、弱っている人や苦しんでいる人を見るとほっとけない方だったのですか?

A:いつもと何か違うな、と気になればすぐ声をかける方ですが、2017年に放送されたドラマ「君に捧げるエンブレム」の中で、骨肉腫を患って片足を切断し、両肺に転移性の癌のある車椅子バスケットボール選手・向井大隼役を演じたことが、障害者やパラスポーツへの理解を深めていくきっかけとなりました。

Q8.車椅子バスケットボール選手の役を演じる時、どのようなことをイメージしながら演技をされましたか?

A:車椅子の漕ぎ方やルールについて学ぶために、車椅子バスケットボール選手の方々と一緒にプレイする機会をいただいたんです。

自分自身も普段から身体を鍛えているので、パワーやスタミナには自信があったのですが、まったくついていけないくらいの激しい競技でした。

普通では考えられないくらいに発達した太い腕で車椅子をこいで急加速する動き、大きな身体を乗せた車椅子同士が激しく衝突する音、激しい動きで発生した摩擦熱によって焼けたタイヤの匂い・・・

そこには健常者と障害者という概念はなく、純粋に己の存在意義を見出す情熱を費やすスポーツとして向き合っていました。

自分はまだ弱い・・・


Q9.お父様から教えられた強さと車椅子競技を通して感じた強さでは、どこか重なる所がありましたか?

A:強さと優しさは表裏一体なのだなと改めて感じました。

逆境に屈せずに練り上げられた強さには、優しさも宿っています。

そして、自分は、つくづく弱い人間だなって実感しました。

Q10.お年寄りを助けようとしたり、障害について真剣に考えるなど・・・隼人さんも十分にお優しいかたという印象を受けていますが、それでもご自身では弱い人間だと思われるのですか?

A:優しさとは相手の弱さを受け入れた上で、行動も伴うものかと思います。

自分には、まだそうした所が伴っていないので、どんどん行動に移していきたいです。

強くなければ生きられない世の中ではありますが、人は弱いからこそお互いを助け合わなくては生きていけないと思います。誰しも孤独を噛みしめながら、見えないなにかと戦っているはずです。その「なにか」は人それぞれ違うからこそ、互いの弱さを理解し合わなくてはならないのかもしれませんね。

大切な人を想うとき


Q11.日々お忙しく過ごす中で、お父様を想うときには、どのようなお気持ちになりますか?

A:老人ホームの中で、独りで過ごしているであろう父を想うと、儚さや寂しさを感じるときも多くあります。

「こんな身体じゃなかったら・・・」なんて思いが浮かび、悲観的な気持ちになってないかな?

家族に会いたくなって、寂しい思いをしていないだろうか?

そんな父のことを思い浮かべると、涙が出そうになる時があります。

そうして大切な人を思う時、この人生の中でその人に何ができるか・・・と考えさせられます。

現実的には、脳梗塞の後遺症をゼロにすることは難しいと思いますし、ずっとそばで介護できる訳でもありません。

自分は自分のやるべきことを全うしつつ、みんなが笑顔になってもらえるように力を尽くすことしかできません。

やりたいことのため、やりたくないこともやらなくてはならない時だってあります。その中で、自分が本当にやらなくてはいけない優先順位は何なのかということを常に自問し続けています。

自問することで、必ず最善の答えが出てくる訳ではありませんが、父の存在を通して、自分の果たすべき役割とあるべき姿を追い続けています。

Q12.隼人さんのお話を聞いていると、「親子愛」や「親孝行」という言葉を考えさせられます。隼人さんの考える「親孝行」とは、どのようなことですか?

A:「自分の出演した映画やドラマを一緒に観たい。」「食事や旅行に連れて行ってあげたい。」という思いもありますが、どれだけのことをしたら親孝行を達せられるというラインがある訳ではないと思います。

まだまだ「親孝行できている」とは言い切れない自分がいますが、親から教わったり感じた想いを持った上で人のために尽くし、笑顔で平和に過ごすことが、親孝行に繋がるのではないかと思っています。

親にしてもらったことを返しきることなんてできないですが、自分が受けた愛情に感謝しつつ、自分ができることで返していけたらと思っています。更に言うと、親に受けたことを返すだけではなく、活かしていくことも親孝行なのかもしれませんね。

市原隼人が目指す先は?


Q13.今後の「市原隼人」は、どこを目指していくのですか?

A:人間は不平等だし、誰もがみな優しさを示すことができるほど温もりに溢れた世の中ではないかもしれません。それでも、どこか冷たい世の中に落胆するのではなく、希望をもつことを大切にしながら強さと優しさをもって挑戦し続けたいです。

時代につくられるのではなく、時代はつくっていくものですから。

Q14.本企画では、アイデンティティやハンディキャップなどのさまざまなことを背負っている方々がインタビューに答えてくださっています。隼人さんは、ご自身とは異なる価値観を持っている人や何かしらの事情で生きづらさを感じている人たちに対して、どのような関わりをしていきたいですか?

A:主体性を相手に置くということを大切にし、相手を理解するように努めていきたいです。

自分は俳優であり、写真家としても活動しております。それらの仕事を通して、自分にできることを突き詰めていきたいです。

今回、自分が撮影した写真を表紙に使っていただいております。

表紙写真は、車椅子バスケットボールチームの「千葉ホークス」の選手の方々の写真になります。

車椅子バスケという競技の疾走感や躍動感などの迫力や懸命に自分の居場所を作り出そうとする様を伝えたいと、好奇心の赴くままカメラを向けました。

これからも被写体のもつ本質的な魅力を写し出していきたいです。

Q15.最後に一言お願いします!!

A:幼き日、深い愛情をもって大きな背中で肩車をして家路を歩んでくれたオヤジのように、自分自身も大切なものを背負い、父が教えてくれた強さと優しさを胸に、この道を精一杯歩んでいきます。

強さと優しさは、形も正解もなく言葉では表せません。なぜなら、それらは相手が感じるものだからです。それでも、大切な人たちのために何ができるかを問い続けることこそ自分の人生のテーマであり、それこそがロマンだと思っています。

これからの人生がどんな旅路になろうとも、答えだけでなくプロセスも大切にしながら命の限りにこの魂を燃やし続けていきます。

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