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「○○と、する」力

考えを構築する時に、自分で便利だと思っている考え方があります。それが「○○と、する」と一時的に自分の及ぶ範囲において仮定状態で問題を固める方法です。

例えば、先日知らない番号から電話があり、それは一見すると嬉しい連絡なのですが詐欺である可能性がぬぐえない。そんな時にどっちだろうかと悩むよりは多少「嬉しい話」がどこかにいっても、そんなもの初めから無かった話なので「私はこの話を「詐欺」と、する。」と仮定的に結論にしてしまって、断るのです。

考察でも「絶対そうだ」とか「他の人に理解されたい」とかやっていると思考する時間がかかります。だからいったん「○○という見方が効果的であると、する」と仮定して表に出した方が時間もエネルギーもかかりません。そして、もし何か間違いがあるなら他人から指摘された方が自分で間違いを逐一探さなくていいので助かります。それによって多少見ず知らずの人の評価が下がろうが、もともとそんな他人知りません。評価がどんなものかも知りません。ですので、無かったようなものなので気にする話では無いのです。

これって数学的にいったん可能性などを仮定しておいて、それで問題が解けないか考える方法と同じです。「○○と、する」事によって問題の選択肢を全て考えるよりも、少ない時間と労力で過ごせますし、もし「ああ、ちょっと違ったな」と思ったら書き換えればいいのです。

日々の生活でも強い願いの話をよく目にします。確かにちゃんと願っていれば叶うと思いますが、しかし目の前とのギャップがあるほどにその「ちゃんと願う」が難しくなる。だったら小さいステップで「○○と、する」と、一歩ずつ願望の方に進めてもいいのではないかと、しています。



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