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ある日の夢「(考察)」

虫が出てくる夢を見た。
ああ、暖かくなってきたのだなと思う。

(考察)虫に関する夢を夢占いなんかで調べると本当にいろんな言葉(大抵はネガティブな事で一部ポジティブな事)が出てくるが、それ以前に私の場合は”暖かくなってくる”と夢に虫が現れる。哲学者のジャック・ラカンは「精神分析の四基本概念」の中でカウンセラーと患者の間で起こる「転移」(お互いに自分の中の何かを相手に映してしまう精神状態の変化の事)の現象に対して「それは患者の病状が現れたのではなく、治療者の何かが『現前』したのだ」と言っているように、人は「春だな」と頭で認識する以前に何かがむずむずと起き上がるのを、もっと奥の本能で感じている。それこそ虫の知らせとして夢の中で「現前」したのだ。

そういうことは占星術の星の配置や、二十四節気など日本の暦と合わせて夢を分析してみるとよくわかる。そしてそういう古来の知恵なしに夢を解析するのは困難だと私は思っている。自分に起こる事(それは精神に対しても)はすべて無意識からの「現前」の結果という事で考えるなら(もっと簡単に表現するなら「世界は基本的にすべて幻である」と近い捉え方でいい)、夢には個人の精神的な波と、世界の精神的な波、近しい周囲の精神的な波などが混合的に作用するしているからだ。二十四節気などの田んぼでの作業などが普通だった時代に感じ取っていた「地球の気の流れ」を、コンビニで珈琲を買いながら独自に感じ取るのは、ほぼ不可能だ。だからその辺は知恵に頼る。頼る事で、夢の混合された波をある程度フィルタリングできるのだ。

夢を「個人」のモノと考えている限り、この夢の持つ多彩な広がりと目の前の生活を共振させる遊びに到達するのは難しい。それはそもそも、今日の自分に起こる事全てが無意識からの現前の結果であるのと同じように、夢もすべての混合の「結果」なのだから。河合隼雄は夢の解析を一人やっても「あまり意味はない」と言っていたが、これはその理由でもある。夢は混合であるから、他の日との知恵(それは個人的な認識の違いであっても)を借りなければ、その夢にかかった波をフィルタリングすることなど出来ないのだから。

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